Harvest

2005年5月21日 日常
息子にゴルフを教えていたら
隣の家のお兄さんが出て来たので、コーチをバトンタッチ。
洗濯物を干し、掃除機をかけ、コーヒーを淹れた。
外で飲むお茶は美味しい。
三人の「道具」を比べ、話に花が咲いた。
家の周りの空き地に、たんぽぽの白い綿帽子が
群を成していた。風に乗せて、息子といくつも吹いた。
大きな飛行機からパラシュートをつけ、次々に降りる空中部隊のように下降し
羽のついた種はきれいに着地し続けた。今度咲くときは同じ場所に固まらないように、辺りを見渡して歩き歩き、あちらこちらへ飛ばした。
英語云々より国境を越え、ひとをスッとつなぐ音楽。
一緒にやれるスポーツ、黒ビールを飲んでハイテンション
肩を組んで一晩笑い明かしてもそうだった。
ドイツ語が話せなくても、日本語を話さなくても
ココロが通じ合うのは流れるものがあるから。感じるから。
そこが、人間関係のポイント。
流れが止まって訪れる危機は、いつだってやって来る。
ひとが演奏する楽器が楽しい。媒体。それは、とても美しい。
「逸品」と謳われる、この世の手仕事に惚れ続ける。
結局わたしは人が大好きなんだなぁ、と思う瞬間。

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すべては知れば知るほど、欲しくなる。
生きて自分を知るほどに、それは変わり
自分の生き方にあったものを望む。
身の程を考えない、知らないのは大変なこと。
自分の能力や立場がどうで、周りにどう必要とされてるか
ふだん守るべきものは何か、誰か、
進むべき方向を見ているのか、たまたま命が今あるだけなのに
わたしわたし、おれおれなんて何人と何年生きて来たのよ。
まさか、ひとの心は読めないし、わたしたちは万能じゃない。
転びようがなく進めた道に立つ幸せなひと、包み守られたひとは痛みを知らない。
相手を見ない呑気な態度が持つ口は、放つ「言葉」を誤る。
たとえ一理あっても、無駄にひとを傷つけてどうする。
相手は一理以上に、痛みを覚えただけ。

はじまり

2005年5月19日 恋愛
仕事で走る車の中で、急にときめき出した。
「彼のところに行って来て。」と、たまたま言われて
会えることに喜んでいる自分に気がついた。
だから、どうして嬉しいのか、考えていた。
心から探れた余韻は「笑顔」の残像だった。
いつも目が合えば同じような気持ちで微笑み合っていた。
居合わせれば、いつも目を合わせ言葉以上に語り合っていた。
そう、やっぱり。何度も交わした、この笑顔。
楽しい時間で止めたい自分、はじまりを爽やかに寸止めにしてみる。
恋のKeyは言葉そのものではなく、ふたりに流れる親密さ。
遠距離のはかなさを考えていた。

いしゃもどき

2005年5月19日 こども
息子の白い水のような下痢が夕方まで続き
時間が遅くなったので初診と違うDrに走ったら
初診のDrで診てもらえ、と体温を測り
ベッドに寝せておきながら
息子に見向きも触りもしない女医に再診を蹴られた。
休んで市立病院へ走るべきでしょう、だなんて”わかってるちゅーねん!”当たり前のことを言う看護婦にも腹が立った。
それができなかったから行ってるんじゃないか。切れそうだった。
医師なら視診触診ぐらいしなさいよ、いしゃもどき。がんもどき。
だめだ。明日は、ちゃんと小児科に行こう。
たった今、お父さんまでゲーゲー吐き出した。
主治医に寄り添って歩く若い女の子は
ピアスを抜いている大きな穴が目立つインターンだった。
24時間点滴の抗がん剤を胸から確実に入れるために
彼女が刺した針は母の肺を破り、肺が萎んで気胸を招いた。
呼吸困難になった。ハァハァと呼吸が荒く、うまく話せなくて精神的にも辛くなった。急きょ、酸素をつけられ鼻から二本のパイプを通された自分の姿に落ち込んで
「今は誰にも会いたくない。」と潔癖な母が言った。
余命一ヶ月と言われ、追い詰められた今回の「転院」で
一日一日大事にがんばっていこう、と家族が一丸になっているときにインターンの失敗は嬉しくない。医師免許はあっても経験の浅いDrに処置させるのは今後やめてください、と伝えた。
若い彼女は立場上、「失敗しました。ごめんなさい。」などと謝れるはずもなく、
「二度と顔もみたくないわ。」と、見た目におとなしい母の逆鱗に触れていることが
話していて伝わって来た。
ゆうべ、ビートたけしのテレビで
若いおかあさんが病気で倒れるシーンを
息子とふたりで観ていたら
son「きゃぁー。」と、彼が悲鳴を上げた。
me「どしたの?」
son「おかあさんがああやってね、倒れちゃったらたいへん!
ぼくひとりになっちゃう!」と、黙り込んだ。
me「大丈夫よ。たくさん家族がいるもの。よく聞く耳があればみんなに愛される。
大丈夫、おかあさん簡単に死なないから。ちゃんと守ってあげる。」
しかし、返事もせず、ぜんぜん安心できないみたいだった。想像以上に成長してる。

Le Petit Prince

2005年5月18日 恋愛
病気で休んだ息子より、昏々と眠っていた。
平たい小石が上手にふたつ乗っかったように、瞼が重かった。
わたしの名を繰り返し呼ぶ父の強い声が
ココロとカラダを深く捕らえている「沼」から
ずるずると意識を引きずり出した。出たくなかった。
這うように起きたら、目の後ろから右側に偏頭痛が長く続いた。

気忙しくて一切シャットダウンしていた部分。
「長く完璧な静けさ」に彼らが疑問を唱え出した。

どうかした?
復路、友人のダニエルが操縦中、エンジンとプロペラが止まり
とうもろこし畑に不時着。
デッドゾーンを味わった、と飛行機クラブで遊ぶザビスケからのメール。
あまりムリしないで、悲しみで仕事に走らないで、とあった。

マコ監督からも連絡があった。心に張っているピシッとした旋律。
彼との会話は、極上の時間。毎度味わったことのない安堵に包まれる。
ほんと稀有なひと。こんな正しいひといない、と思う。

ゆうべから息子に星の王子さまを読み始めた。
”恋は静かに淡々と力ずくで”と、頭をかすめてわたしの声が、はたと止まる。
絵がない本なのに「ねぇ、続けて。」と、息子にせがまれ続きを拾った。

雪わたり

2005年5月16日 お仕事
明日は仕事で雪が残る山に登る予定だったため
「登山靴を買った方がいい。」と、何人かに言われていた。
長靴では滑るらしい。シューズはぐちゃぐちゃになる。
準備できず、行くなら長靴。集合は朝の7時30分。
今夜は息子が熱を出して、翌朝どうなるのやら
検討もつかない。どっちだろうが休めばいいんだろうけど。
カラダがよっつあればいい。ひとりは仕事、ひとりは育児、
ひとりはハウスキーパー、ひとりは、ただの女性として人間くさい恋をする。
それとも時間が4倍あったらいいのか、、、。
一日96時間あったら、100歳は400歳分の時間。
取りあえず、上手に生きよう。

DULTON

2005年5月16日
明日から5日間、母に新しい抗がん剤が
24時間点滴で打たれる。効いて欲しい。

静岡の妹が赤ちゃんを連れて
病院のある街のグランドホテルに泊まり
今日から一週間、母に通うらしい。

明日、タイに赴任中の妹が二人の子供と帰国し
病院のある街のマンションに住み
そこの小学校に通わせるらしい。

唐突に、きのうきょうに聞いた話で
きょうあしたに来るってことは、だから性急過ぎる行動で
「母の命」を思い詰める妹たちの後悔したくない気持ちはじゅうぶん理解しても
仕事に縛られ続けてる夫の義弟たちは内心、すごく複雑なはず。

プリン

2005年5月16日 こども
いま、熱を上げ始めた息子が
Barnyを読み出したらストン、と眠りに落ちた。

午後三時半、デスクの電話が鳴った。
「昼寝が終わってからのおやつの時間に、
昼食をすべてテーブルに吐きました。」と、
担当保育士からのコールが入って早退した。
ゆうべからの下痢は朝も止まらず、顔が青かったのだが
仕事先に休んでるスタッフもいたので、息子の状態を連絡帳に書いて登園させた。

元気がないのに「プリンとバニラアイスが食べたい。」というので
丸い18cmのケーキ型に大きなプリンを作った。絹のように滑らかなのは良かったが
キャラメルソースの焦がしが足らず、砂糖の甘さが強かった。
「おかあさん、おんぶ。」だるいのか、離れない。四歳はかなり重い。
後ろに持っていかれないよう、前かがみになって歩いた。
グイグイ肩を引き、紐のラインどおりに内出血していそうだった。
彼が病気になって、本日ようやく「息子曜日」到来。

いい女

2005年5月15日 読書
この主人公にそっくりな女性が友人にいる。
わたしはもともと「自分」を生き抜こうとしてるので
はじめから当てはまらないけれど
多くの中高年の主婦に読んで欲しい「気づき」のための一冊。
いい女、って。え、なに。へぇ、ほぅー。ふうん。

藤本 ひとみ 中央公論新社

足りないもの

2005年5月15日 こども
長くなった髪を丹念に洗うわたしを置いて
先にお風呂を上がった息子はカラダを拭き
ひとりパジャマを着て、ぐっすり眠っていた。
ベッドに上がっていたはずの
たたんだ洗濯物は白い椅子に移してあった。
自分に時間や余裕がないせいか、彼も何かしら抱えているはず。
お布団をしっかり引っ張って、その寝顔が健気でいじらしく見える。
もっともわたしを必要とする彼。手が八本欲しい。
お料理しながら、彼とトランプをして、洗濯物を干し、お化粧をしたり落としたり
食器を片付けながら、彼とジャンケンして、メールをタイプし、お風呂を洗う。

Radiance

2005年5月10日
昨日、母が転院した。
後ろから救急車の伴走は、案の定ムリだった。
まさか一緒になって信号無視はできないし
チケット取って、高速料金だって払っていたし
到着はたったの10分遅れだというのに、テレビで中継されるマラソンみたいに彼らは全然見えなかった。
一日おきに、高速四時間の運転が続く。ふううう。
明日はお世話になるDrとお話し。わたしが呼ばれた。

Keith Jarrett

色鉛筆

2005年5月10日 お仕事
この頃、絵を描いてる。
残念ながら右脳が踊るように
無限の宇宙に飛んで描くのではなく
仕事のために必要で、左脳も使う内容だけれど
まぁ、なかなか毎日忙しいので
小一時間、一番無心で至福の時間に浸れる。
いい色鉛筆が欲しい。

MIAMI

2005年5月8日 こども
金曜日の朝。
son「きょう保育園行かない。
ゴホゴホ、風邪ひいて行けない。」
me「えええ、大変。映画に一緒に行ったお友達が待ってるよ。楽しいお話ができるから咳とまったら行きなさいよ。」
son「だって、ぼく、なんかおかしくなっちゃうんだよ。
ゴホゴホ、ほら。だから、おかあさんもお仕事行かないで。」
me「ココロの風邪ひいたのかな、大丈夫?」
son「うん。ゴホゴホ。」
me「おかあさんは100円たくさんもらうために仕事しなきゃいけないの。」
son「やだよ、行かないで。」などと、どうも彼への愛情と時間不足のツケが見えた。
土曜日の朝、登園した玄関で
son「せんせい、ぼく、昨日ね、風邪ひいてズル休みだったんだよ。」と説明していた。
きょう日曜日、彼目当ての電話で
son「そそ、今日はお休み。ズル休みじゃないよ。」だって。
ズル休みは胸を張れない、とわかっている様子。
頭かくして尻かくさずのような話なのに真面目で、大人たちの笑顔を誘う。
彼とサッカーして転んだ。保育園以来じゃないか、というくらい手と足をひどく擦り剥いて、痛い。子供みたいだ。わたしもズル休みしたいな。
病院で明け方、「あぁー、助けてぇー!」と
母が大きな声で叫んだので看護婦を慌てて呼んだ、と
隣のベッドに眠っている老女が小さな目を
パチパチさせて、わたしに囁いた。

me「あらら、叫んじゃったの?また雪の夢?」
mum「あなたと待ち合わせしたのに、はぐれてひとりぼっちになっちゃたの。
吹雪で何度も転んで怖かった、、、。」と、照れた。

病院では二度目らしかった。
一度目は大雪の中、点滴を引きずって街中ひとり転びながら歩いていた。
歩けど歩けど同じ小路が続き、家に辿りつけず助けを呼んだらしい。

55歳を過ぎたあたりから頻繁に始まったこの「叫ぶ声」は
ダブルベッドに一緒に眠る父は勿論、家族はみな知っている。
がんばり屋なのに体力がなく、虚弱体質の母が加齢と共に叫び出した。
九州で生まれ東京で育ち、銀座を闊歩するOLだった母が「嫁」として
初めて東北に足を踏み入れたのは、わたしが生まれる臨月の真冬だった。
閉ざされた雪国。地味な生活に乗る「重い雪」に、彼女は唖然とした。
また、慣れない雪の上を上手く歩けず大きなお腹で何度も転んだ。

雪が大嫌いな母。
夢で、雪に捕らえられて恐怖する母。
可能な限り「無心」で日常に向かいたいな、とわたしは思う。
ひとは嫌いなものに、嫌うものに
本当は、すっかり心を捉えられていつも生きている。
ひょっとしたら、愛することより執着心が強く高いエネルギーを使いながら。
それでも、しっかり抱えて生きていくんだろう、と思った。
昨日の夕方、スーパーのレジで
母のスリッパのお金を払っていたら
隣のレジで子連れの夫婦が
年配の店員をいきなり怒鳴りつけた。
わたしと同じか、少し年下だろうか。
自分たちは正しいぞ、と何度も大きな声をしつこく出した。
否応なしに耳に入る原因は正当でも、大したことじゃないので、ただ彼らのガラが悪く見えるか、生活に困って見えるだけだった。
同じことがあっても、いちいち刺さってる暇はなし。
日本語が通じない日本人は、いっぱいいる。
求めたくても、相手の能力の限界だって多々あるんだし。

CANAPE 1P

2005年5月2日
もっと早く、わたしが主治医と会うべきだった。
「初回の抗がん剤はよく使われるものでまったく定番、
マイナー、ベーシックな○○○を使いました。」
のびのび太が、60歳に近づいたような彼。
目はキョロキョロと右へ左へ、まったく自信なさ気。
痛みを訴えても触診も視診もなし、悪性リンパ腫には興味も湧かないようだった。やさしいDrだが毎日の日課、散歩のような回診。まるで静かな最期を導く「看取り人」に見えた。
Dr「99%ムリですよ、転院しても、、、。それでも、移ると言うことですか?」
me「母の一分一秒の存命を願うのが家族の総意ですから、1%があるなら最善を尽くします。」紹介状と検査書類一式もらうのに3時間、母とたっぷり話して笑った。
重い病気のくせに冗談を言うので、可笑しかった。
そして、わたしが何しに来たのか、これからどうするのか説明した。
彼女も、同じ気持ちだった。あす早朝、父と遠い病院に向かう。
めまぐるしい展開、息子といつまでも遊べない。

Kalanchoe sp.

2005年5月1日 日常
母の病院の帰り、高速から降りた海沿いの県道。
ライトもつけず、時速10キロ程度で走るライトバン
のろのろ運転している中年のカップルだった。
とっても暗い顔をして、まるで心中する場所でも
探しているみたいに見えた。
今日で仕事が一段落ついた。
母にできることを追い駆けながら、明日からはできるだけココロして息子と遊ぼう。
ここのところ、ずっとうんと我慢していたはず。

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