阿寒に果つ

2005年6月20日 読書
渡辺淳一が書いた本で、三島由紀夫でいう「夏子の冒険」のように好きな本。
わたしの中に主人公の烈しい姿が20年以上、残像で息づく。
初めてのヨーロッパ旅行の帰りに、凍てつく小窓から見下ろしたシベリアの
圧倒的な厳しさを眺めながら、もしも自殺を決意するような事態になったら
マンモスのようにここに入って、誰に触れられることなくずっと冷凍されたい、と思った。
歩き続け、阿寒に果てたあの主人公のように。真っ赤なコート一枚をただ羽織って。
そう、いまのところ。わたしは、どんな風にも生きることができる。
親になって自殺というジョーカーが笑うような手札は、もう持たないけれど。
son「おかあさん、あれ食べたい。」
me「なぁに?」
son「あれだよ、あれ!あのー、大きい針みたい
なのがついてて、危なくてお口に刺さったら大変なやつ!!」
me「あー、焼き鳥。」
son「そそ、それそれ。」にっこり、にっこり。

透明人間

2005年6月15日 お仕事
ある本に、男性は全て受け入れるか力ずくで相手をどうこうさせるほか術を持たない生き物だ、と書いてあった。職場は極度の「理論武装」が目立ち、切り込まれると感情的になるから「弱さ」がかえって浮き彫りになる。先日熱くなった上役が「去年はオレを無視したろ?オレが挨拶したのに無視しただろー!?」と、付き合いのある外部の人間に叫んだ。えー、同じことがあっても、ついでに口から出ないぞ。問題と混ぜてぶつけて話すのはよくなーい。風通しのいい爽やかな職場にしよう。
ありのままでオッケーだから、子供みたいにドーンと行け。ドーンと来い。
まとまったお金を持ったり出世すると、そこから、変わっていくひとがいる。得た力に、「もっと、もっと。」が加速して大事にして来た事をどんどん置き忘れ始める。お金だったり票だったり人気だったり。何かを「かき集める」ことに意識が走り、一定量を見て安心する。ただの単位に豊かさを感じるような、つまらない人間にはなりたくない。

街角にて

2005年6月15日 趣味
あれー、何だっけ。
えーと、えーと。
今日も、怒られたなぁ。
なんで、俺ばっかやられんだろー。
ちぇ、おしっこしよ。
彼女のしゃべりを文章にした本。飾らず見栄を張らず、等身大で世の中を渡り歩いて来た半生で光るのは、行動力。ときどき、自画自賛するときの話し言葉が子供っぽくて気になったけど、めげないでトライし続ける生き方に好感が持てた。
マコ監督の場合、愛とセックスは別物。彼の一貫した態度は、愛情を感じる。思いやりがある。一見冷たい。ときに厳しい。セックスが淫らに入り込まない。それはそれ。少し食い違っても短時間で深い会話ができる人って、とても大切。年齢性別関係ない。手放せない。歩く方向が違っても、心的態度が似てないとムリ。極端に言うと、ポジティブ肌とネガティブ肌が合点するには膨大な時間と労力を要する。不快なことは避けたい。自分が一番欲しいパンはどれで、どんな風に食べたいか。まずは、パンを正しく求め続けること。繰り返し繰り返し。
忙しいと唐九郎が読みたくなる。精神安定剤。ヒントも多い。土に向かい続けた彼の真っ直ぐな心が薫ってくる。インクのように染み渡る。瑞々しく「自分」を取り戻す。軽い。明るい。ハッピー。
加藤 健二 ¥1,575
93歳の東京の祖母は、ジャック・ラッセル・テリア二匹にご飯を作って毎日食べさせる。見てたら、鯛をほぐして桜海老と白子を混ぜ、みじん切りの人参とタマゴと胡麻と栄養剤を調合。その辺りの赤ちゃんが食べる離乳食よか、すんごい豪華なメシ。ステンレスの小皿に盛り付けられる音で、子犬が待ち切れずクッキング中のおばあちゃんにワンワンビョンビョン群がり、思わず祖母倒れかける。
シンプルなきものが樋口可南子が持つ透明な色気を引き出していた。表情や仕草、物腰に垣間見える昇華してたまらないような恍惚感は彼女独特の魅力で、この正直な感じが官能的。しかし、この本で糸井重里氏が1993年から夫だということを知った。えー、役所広司へ口移しでつまみを食べさせてたはず。まぁ、見てもないし全然わたしには関係ない。だから、独身だろうと勝手に思っていただけ。
これもよい。なかなか力強い。いろいろな有名なひとを出さないで、もっと情報量が欲しかった。岐阜県多治見市にかまえる「ギャルリももぐさ」のこだわりをもっと知りたかった。わたしもヨーガンレール氏のように東京と田舎に暮らす二重生活に憧れる。ヨーガンレールの服、そろそろ似合うようになるかな。
「―クール&ハッピーで生き抜こう。」
対談のように二人が話したことを長い単位で文章化した本。主観的でおもしろい。経済学というより人生観。どっちに生きようか、と思っている今日この頃。レンズ調整のやさしい読書。そういえば、超軽い眼鏡を一本紛失した。必死で捜索中。お願いだから、出て来てください。

佐伯チズ

2005年6月13日
金曜日の夜、母が入院する病院にほど近い保養所に泊まった。素泊まり3,300円。和室の6畳は暑くて狭かった。しかし、安い。ふだん滅多に見ないテレビをつけてたら、金スマに彼女が出ていた。女性雑誌「ドマーニ」で顔を知っていたけど、波乱万丈を観たら親近感が湧いた。ホリエモンも、そうだった。小宮悦子にムキになる対談を観たら憎めなかった。テレビは凄い。その晩から佐伯流、お肌のお手入れにトライ。三日目、いい感じ。
平澤さんの雑誌をめくると、欲しいものばかり。なかなかセレクトが良くシンプルで美しい日本の民芸品も多い。日常で活躍する「もの」が自分の歴史を語るような存在感を放っていた。この世にあるものはどれも美しいけれど、この頃特に日本の古い民家民具民芸に興味深々。もう少し暑くなったら、お気に入りの下駄を下ろそう。
ほんとは肌触りのいいガーゼのパジャマを探しに来店。
なくて本末転倒、生成りのタオルケットを購入して帰宅。
ダブルで5000円。目が詰まってて、しっとり感あり。厚みと重さもあってなかなかいい感じ。無印良品の無地で色がやわらかい生成りの寝巻きや寝具は末長く愛用できる。
うちに双子の女の子が泊まった。
百人一首を何句も暗記していて、懐かしかった。
中学三年生のとき、年下の男の子にあげたグローブのお礼で
父兄にいただいたテープ付きの大人っぽい百人一首があり、
ブームを迎えた彼女たちに初めて開けた。
双子は、いつも助けてくれる親友の娘で、小さい頃からわたしになついてる。息子も会ったときから四歳上の彼女たちが大好きの様子。やさしく二人に面倒をみてもらう。
「77と78と一緒にいるとね、ぼく幸せなんだよう。」と、ときどき会いたい気持ちを思い描く。春樹が208と209に夢みるように、この目にもそれはなかなかゴージャスな絵柄に映る。20年経っても、子供たちの間に会話が弾むような育ち方や付き合いが続いたらいいのに、と密かに願うんだけど、、、一言でいえば「縁」なる数奇なもの。
これやこのゆくも帰るもわかれては、知るもしらぬもあふ坂の関

TWIGGY BLUE

2005年6月7日 お仕事
今日初めてお会いしたトップのあいさつで、わたしの名前が飛び出した。当惑。春からそういうことが重なって、感触が悪い。たとえば、同じ肩書きのメンバーが山ほどいて単純な心情で、周りはちょっと面白くない。わたし個人に関心や感心を寄せる挨拶を聞いても、誰も積極的にならない。困窮。個人を上げるはなむけの言葉なら、こっそりその耳元で囁けばいい。レセプション最後に温泉で一番癒される秘境はどこか?と盛り上がった、単刀直入で話し易いおじちゃんがいた。隣県の県知事代理だった。偉いひとらしい。
疲れた。眠い。椅子から落っこちそう。それでは、また今度。

TWIGGY

2005年6月6日 お仕事
朝礼で突然、みんなのまえで挨拶しろ、てカミカミカミ。
浮いてるわたしは、急に調整もきかせられず
思ってることを話すほかなく、気分が一日イエロー味。
なに話したっけ、寒い東北の田舎の呑気な職場の中でさ
60〜70人のおじさんおばさんをまえにして、、、。
もっと元気の出るような話をすれば、良かったな。無念。
飛びたい。感じるまま疑うことなく。
あの鳥のように
高いとか低いとか気がつくこともなく。
野良ネコのように
ただ生きることに貪欲で無心で。
そんな風に歩いていきたい。
加工の難しいナラの節目材を使用した飛騨家具「森のことば」のヒットシリーズ。節目をあえて使用して表現した、木の味わい肌触りがよい。温度や湿度の変化による割れもなく、狂いのない見事な集成具合から製作時間は相当なもの。我慢強い匠の仕事ぶりを感じた。デザインもいい。お好みに合わせたセミオーダーも可能。これはビーンズ型テーブルW145cm、価格は手の届く118,000円。 

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