ハウル

2005年8月9日
ハウルを宮崎ファンの母に見せて上げたい、と今夜思った。
DVD発売、間に合って欲しい。
骨髄癌に侵された祖父が最後のときは、
生きていても意識が戦時中にあり「ソ連捕虜」の中にいた。

明日から看護休暇、スーツケース二個で出る。
仕事やっつけてあきらめて、やっとありつけた感じ。しばらくホテル在中。
息子の保育料がだぶるやら、病院から遠い市になる広域保育やら見通しが立たない。
置いていけ、とも保育あきらめて一緒に行動してな、とも声は多数。
今日は父と一番下の妹夫婦が見舞いに行った。
面会謝絶だった、と父が言った。

錆びる

2005年8月9日 生きるために
信頼関係がなければ、お互い失われ続ければ
あらゆる表現法による、言葉でもガラクタ同様。
幾万の単語は、厄介な荷物のようにココロを重くふさぎ
あり得ない話ばかり、ところ狭しと積み上がる。

愛される女

2005年8月8日 恋愛
男性は信頼されている、という実感が必要、、、なんだって。
「おかあさんが、俺を信じてくれたからさぁ〜!」と
落ち着いた頃の父が絶叫していたのを思い出した。
忍耐強い愛はおもしろい。長く愛し合いたい。

ターミナル

2005年8月8日
仕事で帰宅が遅かったため、二日電話をかけないでいたら
土曜日に母から電話が入った。
mum「電話ないと、すごく心配なんだけど。」
me「あ、今すぐ行くよ。」
mum「来るの?」
me「もちろんだよ。」
mum「なら、わかった。早く来て。」
何だか、ずいぶんハイだった。電話で唄う。ふざける。笑う。
ろれつが回らない。おかしな様子だった。
病院へ行って話していても、意識が幾度もうつろになって落ち、返事がなくなった。
mum「もう、こういう状態なの。気にしないでね。いつから来れるの?あした?」
モルヒネを流しっ放しのせいか、理解しても記憶が定かじゃない。
幻覚が見え軽いノイローゼになってるとも言った。
そして、やはり声高らかに唄った。
帰りの高速で、昔、映画でよく観たあれに似ていると思った。
冬山で遭難して、眠り込んで凍死しないよう自分たちを励ますために唄うときの。

これが終着駅に母がいることなのか。
勤務中のふとしたときに、また、毎週往復の車の運転中は必ず涙が落ちて来る。
こんなに悲しい夏は、なかった。
朝から甲高く響く蝉の声すら、地球上の命を削る烈しい時報のように聞こえる。

PRIVATE NUMBER

2005年8月6日 恋愛
ゆうべ、突然涙があふれて止まらないため、
マコ監督に電話をかけていた。
気持ちを見渡しても、
何かを思い詰めたつもりはなく
疲れた気持ちは確かにあったけれど
ごくごく自然に流れを素直にゆっくり受けていたのに。
たとえば、宇宙が本当に女性の子宮の中であるというなら
まるで大気のバランスが狂い、破れてしまった空のクレバスから
赤い肉が、たまらずボトボト落ちて来るかのように。
わたしの涙を押す力は
均一で長く高い津波の壁を保つ抗し難い重力のように
目のすぐ裏に長い時間、居座っていた。
彼はいつも的確に素早く状況を掴み
早く適切な言葉を繰り出し、どんどんクールダウンしていく。
人なるものを説くスペシャルなドクターのように
思考が落ち着く度にかけがえのない人だ、としみじみ思う。
火のついた幼児のようにエンエン激しく泣いていたのに、
わたしはゲラゲラ笑って電話を切った。
この番号の先にある声が、一瞬にしてわたしを救う。
素早く投げ続ける強くてすっきりした言葉が
流れそうになって手を伸ばすわたしを浅瀬に運ぶ。
今夜息子に贈った子守唄、誰も寝てはならぬ、、、。
son「おかあさん、あれだね。車のCDだ、こりゃ!」
me「ブラヴォ〜!」泣♪

定規

2005年8月4日 恋愛
彼の気持ちを量りかねる。
この手でシフトをしっかり握ろう。
怖いことなんて、ない。
この世には最適な答えしか転がっていないんだから。

父の詫び状

2005年8月4日
母が午前四時に電話をかけ、父を病室に呼んだ。
仕事があるから父は寝不足でいけない、と言うのに
どうしても今日会いたい、と言うのだった。
午前二時で眠ったのに、わたしも五時で起こされた。
母にとっての「今日」は、本当にかけがえのない今日だ。
看護師がターミナルと呼ぶ状態にある母のケアについて、
お互いの考えを薄明かりの部屋で、いろいろ話した。
この頃、父の口走る話がまとまらない。
わたしたちは彼女が守り育てた家族だから
やるべきことはまっすぐひとつだろうに。

三味線

2005年8月4日 日常
疲れている。毎日時間が足りない。長い。
意識が荒れないよう気をつけよう。
仕事で芸者さんの話を何度も聞いていたら
三味線を胸に抱いてみたくなった。
吉野弘全詩集を全部読め、とBA社長が持って来た。
452Pのやさしい「祝婚歌」に、
先日、タイミングの合わない相手に短く伝えた
わたしの言いたい趣旨が重なって感じられた。

自分の中の一方的な正義を振り翳すのでは、
緊張の高い場面に置いて良い実を結ぶわけはない。
男女の中をはじめ、人間関係を豊かにするわけもない。
いくら勉強ができ肩書きがあり、お金に恵まれ美しい文章がかけても意識が自分の正義に留まってご満悦では、壁の外にある風景も匂いもわからないまま。自覚を促す相手や本との出逢いは、ひとである最上の喜び。
壁の向こうに流れる川の音が聞こえたなら、黙って爪先立ちして覗いてみてよ。
ひとりじゃない楽しさは、そこから始まるんじゃないかしら、と。

四方党由姫

2005年7月30日 日常
man「Can you speak English?」
me「A little.」
man「あなた中国人ですか?」
me「いえ、違いますよ。この辺のひと。」
man「それにしても、おかしいなぁ、、、。」と、きのうの話。

キャンドル

2005年7月30日
目が覚めた。息子と一緒に眠っていた。
途端に、漠然と、いまの母が、抗がん剤の副作用に
耐えられるのか、とても不安で心配に思える。
ほんとうに大丈夫だろうか、、、。連れて行かれたらイヤだ。
眠らないと、自分の頭が参ってしまう。ドラールを水で喉の奥に流し込んだ。

海辺の家

2005年7月29日
母が来週から抗がん剤を受ける、と決めた。
どのみち治らないなら、死んでしまうなら
どうしたらいいか、わからないと言っていた。
父は、本人の意思に関わらず最後まで治療を望んだ。
わたしは、母の意志を優先したかった。彼女が決めた。
仕事で読んだ源義経の話をしたら、
「義経の本、貸してちょうだい。」と言った。
あっぱれ、インテリかぁさん。辛抱強く読んであげるよ。

海辺の家は、人間臭くて好きな映画。胸が痛い。目に沁みる。
母をDrが「末期状態にある。」と言った。
意識のあるままで連れ出すのは危険過ぎて
母が短時間でも家に帰れないことがわかった。
今は呼吸が苦しくなり、酸素を装着している。
先週末は仕事で疲れ果て、病院市内のグランドホテルに
泊まった。椅子を三つくっつけて、母の病室でも眠り続けた。
母のベッドに息子が入った。喜んで抱き締めていた。
時々、何かを思い願うように彼の手を握り締めるのだった。
気がつくと四時間以上が過ぎていた。
彼女が幸せそうに息子とひとつベッドの中で笑いながら
話しているのを見聞きしていたら起きれなかった。
もう、いまから母の傍にいたい。

Goodnight Moon

2005年7月25日 読書
これ、とても静かで神妙でいいです。
部屋の匂いすら、鼻先に届きそうな本。
とっても眠い。落ちそう。おやすみなさい。

ハートブレイク

2005年7月25日 恋愛
あ、ふっちゃた。ごめん。
タイミングのいいひと、ほかにいる。
がんばろうー!

浴衣

2005年7月25日 日常
昨年夏、横浜の友人に反物で頼んでいた
浴衣が出来上がって今日届いた。うれしい。
飽きの来ない紺白のとんぼ柄。ステキ。
息子は相撲の紺白の北天祐柄。かわいい。
早速ふたりで着てみた。今年の夏は、街を闊歩しよう。
浴衣三昧。下駄三昧。この頃、ずっと「藍」に好反応。
だって、あたくし日本人ですもの。
me「あー、だめだぁ。ガックシ!」
son「どうしたの?」
me「おかあさんバカ!また、タンポン買い忘れた(-_-)」
son「おかあさん、バカじゃないよ。」アリガト。
むかし、鼻をつけた瞬間、ポトン!と眠りに落ちる
世界で一番気持ちのいい胸を持つ男がいた。
彼の腕は朝まで、わたしを包みくるんでいた。
あんまり気持ちが良くて目をつむると
青空の下、地平線を浮かべるモンゴルの大草原に
カラダを放り出して風を感じているみたいな気がして
のびのび開放された心身が、飛んでしまうのだった。

いつも、いつも。ふと思うこと。
ここには何もなくて、全てある。
まるで、ミドリが酸素を吐き出すように。ごく自然に。

ランプ

2005年7月19日 ショッピング
この部屋に、お客さまが多い。必然、お部屋がきれい。
息子の友人が泊まったり、
わたしの公私に渉る関係者が立ち寄ったり、泊まったり。
それでディスプレイの棚を探しているんだけど
気に入るのが見つからない。
きれいなイタリアンレッドの面白い小物も欲しい。

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