彼は、ちょっとしたことで態度が豹変する。
ポジションが高いのに、なぜ許されるのか。
守るべきものがあるのに、少しのことでいとも簡単に崩れる。
輪郭が甘い。それが許されるのは信頼関係があるかないか、
に尽きるようだ。いつもチャンスが訪れる。いつもいつもいつも。
蔵元・阿左美冷蔵
埼玉県秩父郡皆野町にある氷やさんの、昔ながらのキャラメルというコクのありそうなカキ氷は、とても美味しそう。ステキな黒塗りの木の器に、まるーくてんこ盛りで500円。行きたーい。
今日のミーティングは全般にホスピタリティの問題だった。しかし、終始相手側に感じたのは伝えたいココロがあるのか、ないのか。本当にそれが底辺にあるなら、それはどんな顔のどういう気持ちなのか、だった。気持ちを伝えるのはいい。でも、洗練されたスマートなおもてなしが詰まったココロを持っていないのならば、ホスピタリティを語る、表現するレベル以前の問題。どうも、そこに気がついていない。結局は、愛もそうなんだろう。計算が先行しては、感動なんか生まれない。
人間関係も自分の中で整理したい。

work

2005年6月30日 お仕事
死んだおばあちゃんの妹78歳に、
三日間残業で10時ぐらいまで息子をみてもらっていた。
彼女は喫煙者なのでお礼は煙草三箱、プラスお饅頭にお花。三日目迎えにいくと、とっても若返っていたのでびっくり。しかし、わたしは疲れた。家に帰ると台所を片付けご飯をセット。息子をお風呂に入れて、あっという間に朝が来る。
明日も深刻なミーティング。朝から資料。今日の会議のまとめ。状況が良くなるように建設的に生きたい。
睡眠術のように呪文のように繰り返し唱えられる法則。人間関係で余計なことはするな、自然に逆らうな、噛み付くな、あきらめろ、やり過ごせ、と確かに余分な力を使わない懸命な態度かもだけど、目を開けたら「おじいさんおばあさん」になってそう。脳にこびりつくけど、つまらない。

ピアノ

2005年6月28日 こども
今日から息子がピアノを習い出した。
わたしが弾きだしたのも、4歳だった。
楽しくて夢中だったけど、8歳のとき遠い隣街に転校した。
母は「やめなさい。」と、言ったけど
貯金箱からバス賃を出して、こっそり通っていた。
お金が底をついて習うのはやめたが、独学で弾いていた。
でも、黄色のバイエルの前で止まってしまい、スポ少で加速的に忙しくなったため大人になったら習おうと思った。だから、息子が強い意思のもとに続けたがったら、状況はどうあれ協力したいと思う。今日はとても楽しそうだったので、しばらく続きそう。ド、ド、ド♪いまも隣で練習してる。わたしのピアノレッスンは、仕事と家事と育児と母の応援に追われる日々で再開の目途が経たない。お茶も行けない。着物も着てない。手を抜く余地さえ見当たらない。まずは、生活に手数が少ない。
家庭に子供や病人がいて、ひとがいないとお金も時間も非常にかかる。
それでも、帰宅の車の中で「幸せなだな。」と思うこころの不思議を、繰り返し自問する。やっぱり、パーなのか。そうなんだろう。

ハルジオン

2005年6月27日 こども
son「ぼくはりりしくて、カッコイイパパになりたい。」
me「なれるよ。どんな女の子とケッコンするの?」
son「かわいいこ。おかあさんもかわいいけど。」
me「そう。小さな赤ちゃんが生まれて来るかもよ、、、。」
son「やだよ。忍法で小さなヒゲじいさんになって隠れる。」

この世に何かが起きて、どんな状況に置かれても。
たとえば、空からテポドンが落ちて彼が外国に逃げ住むことになっても。
必要な言葉を話し、お金に意味がなくなれば、畑で元気な野菜を作り
舟をこいで魚を釣って生きていけるようなひとに育てばいいな、と思う。
たまたま田舎に住んでるおかげで、自然と共生する生活から吸収している豊かさや生きるたくましさが、たくさんあることに気づいた。
今夜のNHKに出ていた。村治香織の弟だった。何歳かわからなかったけど、ひとに触れる音にひたむきでとてもよかった。ギター一本と向かい合う人生。ただ、目をつぶって弾くその姿が三味線を持っているように見えた。がんばれ、そうちゃん。

中江有里

2005年6月26日 読書
「こんな文章にお金をあげちゃだめです。」と思うことがある。たとえば解説だったり、後書きだったり、雑誌の短いエッセイだったり。時間がなかったのか、そもそも生きる態度なのか、充電期間中なのか、わからないけど。やむなく掲載されている理由はお金をさきに払っちゃったのかなぁ、と。それにしても多くの読者の時間をちょうだいするんだから、あんまり甘いものはやめたほうがいい。まずい文章の後味は残るものだから。

代金踏み倒し

2005年6月26日 こども
朝から暑いので本を読みながら、お店屋さんごっこ。
son「いらっしゃいませ。何にしますか。」
me「ヨーロッパのコーヒーをひとつ。」
son「ガリガリガリ、シュワシュワー。はい!どうぞ。」
me「う〜ん、いい匂い。濃くておいしいわ。ありがとう。
おいくらですか。」son「3000円です。」
me「え!!地球の中でも高いほうじゃないですか。払えません。」
son「さんぜんえん、はらってくださいぃ。」

矢絣

2005年6月25日 ショッピング
新しく矢がすり柄の下駄を買った。
黒の桐下駄に鼻緒の色はムラサキ。とても上品で女らしい。
カランコロンと乾いた高い音がして、めちゃめちゃ軽い。
この写真は1200円。福岡の会社。ほんなこつ安かね。
下駄も上は一万円ぐらいでピンキリだけど、値段が高いからといって、センスがいいわけでもない。下駄も着物と同じで、じっさいに履いて見ないとわからない。
今、わたしの中で和ブームがゴーゴー始まり出していて
伝統鋳物の重ーい美しーい南部鉄瓶も危うく買いそうに。ぅー。
通りがかった店じまいセール、、、欲しかった。
代わりに本屋で800円の鋳物の本を買って帰り、じっくり眺めて眠るところ。
この部屋の家具は、シンプルなデザイナーズイタリー中心。
よし、日本民族が織りなす美しい民芸の生活品を選んで入れていこう。ぉー。

ビジョン

2005年6月25日 こども
ビジョン
もう少し、ふわふわっと育てたいと思う今日この頃。なぜか。
たとえば、お米をとぎたがるので
me「ふたつ(二合)お願いします。」
と言っているのに、毎度みっつ入れる。
son「らじゃー。」しゃかしゃかしゃか。「お水みてください。」
me「多いな、また三合じゃん。」こらー、間違いない。
son「みっつ、してないよ。」と今夜も言い張った。うそです。平然として気に入らない。
それに、朝はパンも食べるから、正直言って三合は三日分に近い。
me「こういう仕事はねぇ、ふたつって頼まれたらふたつなの。」
son「えー、知らなかったんだよーー。にやり。」すべからく、そんな調子。
回避のため、聞こえないふり、とぼける、うそをつくので本気で腹が立ったりする。
この6月の、あっという間に草木が伸びる勢いに似て、よく育って来ている。
波長の短い感情で語らず、長く大きなビジョンでとくとく語ってみようかな。

time is money

2005年6月24日
きのう、母の白血球が50。どんどん下がってる。
まさか、カラダに50個しかないなんて。
30cc当たり/50とか。聞いてみよう。
早く上がれ、白血球。がんばれ、血小板。たのーむ。

牛若丸

2005年6月22日 お仕事
仕事で急遽、悲運の将「源義経」を漁る日々。
幼少からの腹心、できる弁慶の知力人間力が良くも悪くも
時に頼朝を数段出し抜いて、多くの逸話を生んだ感じ。
それで頼朝の勘に触った気もして来る。
義経がチンギスハーンになった話は到底信じられないが
確かに1189年、31歳で自害という事実はでっち上げで
藤原に庇われた東北の奥地に進んで、もっと生き延びた気がして来る。
写真を撮るとか、文章を書くとか、絵を描くとか
ひとりで作業を完結できることはかまわないが
生活の大半は相手があるので、人間関係の如何に尽きる。
なり振りかまわずアメリカにいたら英語を使い、
拙い中国語やフランス語、東京弁を捨て東北の田舎で方言を自然と使うのは
言語や民族、文化の違いの入り口にとどまるわけにはいかず
流れに乗って、その先にあることを少しでも形よく成し遂げようとする使命であって
目の前の相手や諸事情を受け入れた上で行動する方が、限られた時間の中に生きて
お互いの個性が活かされる場面も多く、無駄がない。
郷に入ったら郷に従え、とは自分をかなぐり捨てることではなく、そういうことだと思う。

悪性リンパ腫

2005年6月20日
金曜日、主治医の連絡で病院へ走った。
母について、今回の薬が効かない場合は
対応は緩和療法を選択するほかなく
また、余命らしきものを告げられた。

往復の運転で涙がこぼれた。

<初見>
?非ホジキンリンパ腫
?びまん性大細胞B細胞リンパ腫
?ステージ?
?タイプ:ハイリスク
最初のDrは世界標準の化学療法「CHOP」療法を5クール行った。しかし、一時的に腫瘍が小さくなる反応はあったが、副作用で本人が落とす生命力体力のほうが大きく、腫瘍が大きくなるスピードに抗がん剤が追いつかなくなった。4/28余命一ヶ月と告げられ、治療存続可能な病院とDrを当たった。

5/9転院後、生検を再度行った。新しくCD20が認められたが、病気に対する見立ては大きく変わらなかった。新しいDrは5/17〜21「ESHAP」を胸から5日わたって投与。白血球は最低値で180まで落ちた。一ヶ月を1クールにして、その中での一週間半、母は落ち着いていた。お腹にたまる水が抜け、体が半分に見えた。

しかし、四週目長く続いた嘔吐と高熱。腫瘍が前より大きくなった。お腹に水がたまり、連日の激痛に悶絶苦悩の表情。モルヒネを大量に投与しても、苦渋の表情が彫る眉間の皺は消えなかった。17日金曜日Drのcallで説明を受けた。

6/13〜17の5日「CHASEプラスR」の投与。強い痛みと吐き気あり。抗がん剤投与後3日経ち小さくなったのか、腫瘍による痛みは抜けた。薬の利きがいいらしい。同時に白血球が急激に下がった。160。まだ1クールの経過観察中で、評価は1ケ月後。急変する可能性もある、とDrは言った。あとは生命力とのバランス。このまま、うまく乗っていって欲しい。

天国のおじいちゃんたち、おかあさんが生きたがってるの。力をください。一生に一度のお願いも三度ぐらいになるけど、お願いします。

紙飛行機

2005年6月20日 こども
me「えーーー、すごーい。飛ぶね!」
son「見てて。もっかい、やるよ。ほら。」
me「ねぇ、こんなに飛ぶヒコウキ見たことない。
感動しちゃった。絶対捨てないで!」
son「もっかい、言って。」
me「これ、絶対捨てないで!ここにサインして、大きいパパになっても持ってて。」
son「だっこ。」
me「どうして?」
son「おかあさんにキスする。」
ピンクのおりがみの折り線もつたない紙飛行機がギュゥゥーーーン、と飛んでいった。
I m proud of you.彼は紙飛行機を折り続けた。

エクスタシーの嵐

2005年6月20日
ゆうべ、カラダの中心にある小さな硬い芯の感度はMAX
戸惑う意思など蚊帳の外、快感に全て埋め尽くされた。
あまりの激しさに顔が歪むのがわかった。
掴れたように何度も強くイキ続けた。信じられなかった。
耐えられなくて死んじゃう、と思った。なす術もなく支配された。このアタマとカラダの中に音もなく流れるPOWER、
本能の恐ろしい顔、、、あああああ、ひど過ぎた。
まだ、びっくりしてる。どっかおかしい。、、、無言。。。

イイーTC

2005年6月20日 日常
高速料金もかさみ、昨年からつけたかった
待望のETCをつけ、母の病院に走った。
時速140km、ブォーブォー車を泣かせて
ごぼう抜きにしていたお兄ちゃんが、料金所で5台後ろに。
彼は悶々として、もっとムキになって抜いていった。
きみもスマートなETCにすればいいじゃんか。
ノンストップでご満悦。通勤時間帯が土日も利いて50%OFF、言うことなし。

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