sleep tight

2004年6月9日 日常
ゆうべは、原稿を書き忘れて午前一時に起床。書き終えて、午前三時に睡眠薬で再び眠りに落ちた。

 朝の七時半、深い沼から這い上がるように、頭と身体を揺すり起こし歩いた。階段から落ちそうになって、柱にぶつかった。目が開かなかった。

 仕事中は、たくさんの欠伸が呆れるほど止まらなかった。今日は早く休む。明日は集中して、がんばります。早く特別な仕事から解放されたい。

night−night
sleep tight
don’t beg bed bags bite!

しなり

2004年6月8日 生きるために
純粋な人間と暮らす。今夜は取材で、老夫婦にあった。

 まるで、結晶のような純粋さ持つパートナーを見守るのは、大変だ。純粋な人間は、角ばって見える。丸く掃いていい、なんてことがない。

 付き合う人間は、簡単に掃けない事を知って、少し面倒だな、と感じるかもしれない。だが、そのこだわりがあって初めて、社会にとって貴重な存在とも言える。純粋だからこそ、感動が起きる。与えることも多い。人の心の弾力を突く。

 しかし、無理を通せば道理が引っ込む。ひとりで生きる人間は、いない。何かしら、他人と関わっているはずだ。いくら純粋でも、バランスが大事だ。大きく引いて、状況や物事を見てみる力が無ければ、単純に嫌われてしまう。それでは、人材がもったいない。

 相手方は無闇にぶつかって、にっちもさっちもいかず、お互いの気力を落としても仕方ない。流せることは知らんふりしてあげられる器量がなければ、ただただ大変だろう。

 お互いに気持ち良く生きる時間を増やすには、出る引く出る引くの柔らかさがあって初めて、個人の尊重につながって長く深い愛情につながっていくのかもしれない。

 
 

大人の役目

2004年6月7日
 心臓のホルター検査とレントゲン、血液検査の結果は「異常なし」だった。この雑音の発信源は、一体なんなんだろう。それから、耳鳴り、眩暈、顔の鼻中心に感じるこわばり、、、。吐き気だけは自律神経の薬のせいかもしれないけど。ひとつだけ、背骨の側湾がひどいというDrの話だった。これは小学校に遡る。

 
 9歳から一日四時間、スポーツをやり過ぎた。病気で毎日眠っている父に触れたくなかったため、なるべく学校にいた。12歳で椎間板を切った。優勝した次の日、朝、目覚めたら首が動かなかった。何が起きたのか、、、と思った。

 止まれなかった。地区で目立つほど運動が色々できたから、県代表になり18歳まで逃げても逃げられなくなった。夏休み、絵が描きたくても、先生にグランドに連れ出され、ひとり炎天下100本の走り込みをした。歯医者に行って練習を休んだら、先生に殴られた。痛くて我慢できないから、抜いた。

 高校生のときは、夜の11時過ぎまでスポーツをしていた。痩せているため、眠くて仕方なかった。体力気力の余力がなく、勉強は一夜漬け。図書館に隠れて、金閣寺を除く三島由紀夫を読み漁った。彼の表現は、爽快だった。平日も学校を休んで、大学の寮に二週間泊り込んで朝から晩まで一日中運動していた。夢でも、していた。突然、40度の熱が四日間出た。髪がゴッソリ抜けた。歩けなくなって這った。トイレで気を失った。心も壊れかけた。

 25歳で膝前十時靭帯を切った。膝がひっかかるようになり、正座から転んだりするため、膝にはいつも血が混ざった水がぶよぶよ溜まった。日常生活で支障が出たため27歳で手術をした。

 身体を壊したら、スポーツに縛られた人生に何か残るか。また、自分の別の才能に目を向けて歩き続けなければならない。勿論、身体を壊さない人もいる。でも、身体を壊す人の方が多い。

 日本の子供のスポーツ世界は、まるでソルジャー、軍隊のようだ。「根性、根性」と迫る。子供だったわたしは高校を入り直したくても、転校したくても逃げたくても方法がわからなかったし、したくても可能なのかどうか怖かった。誰にも相談できなかった。16歳のとき、運動ばかりの生活をやめたくて仕方がなかった。

 たとえば突出した運動能力ばかりを求め、出力して、生活の豊かさが何処にあるんだろうか。人生は長い。

 子供のときに出会うたくさんの大人たち。彼らの人生観そのものが、子供に触れる。明暗を分ける。生きる楽しさを知らない大人が多かったら、道程も道幅も無くなる気がする。

 変貌を遂げる日本は、全てにおいて一時的な「点」に迫る。豊かさの「ライン」が見えない。刹那で、貧しい。

 誰彼に振り回されず、
 家族や仲間と共に、長く緩やかに生きたい。

 

ゲルマンの逸品

2004年6月6日 日常
今朝、彼女とまた夜明けの明るいカーテンを見ていた。

 朝方まで語り明かした。いつも、お会いすると決まってこうなる。よくまぁ、いつも話し続けることができるものだなぁ、と思うんだけど、日常の状況を事務連絡するかのように始まって、関わる人間や出逢う人々が持つ「本質的な人間臭さと純粋さ」にこだわる会話に、時間が追いつかない状態になってしまう。

 彼女の白ベンツのリミテッドは、気が利いていてなかなか良かった。硬めで一瞬馴染まないような革シートも、背の高い私に合わせて電動で座席の設定は、勿論フィットするまで細かくできたし、運転席側と助手席側とで車内の温度設定を変えられる。

 それから、安全面での配慮が素晴らしかった。たとえば、音楽のボリュウムもハンドルでコントロールできる。ハンズフリーの携帯の電源は止まっていないと、入らないようになっている。標準装備で革シート(50万程度)がついてたり、三年のメンテナンス保障のほか無料オイル交換、とにかく支払い総額を伺うと、リミテッドはプラス約100万円のお買い得であり、簡単に感想を述べると「メルセデスが人を選ぶような優越感を感じさせる車」なのであった。同じ機能であったとしても、日本の高級車とは比べられない。

 さすが、ゲルマン魂。虜になった彼女は、もう一台もベンツに買い替えするらしい。

 わたしはドイツを旅行中バスを間違って、夜遅く「オペル」の美術館に立ち寄ったことがある。古いミシンや工場の様子ばかりに驚いた。「戦争」をきっかけにして軍事工場へ、車を造る会社へ、と至った話を当時館長のアーネストさんに、聞かせてもらった。

 ゲルマンは、誇り高い。

 何人かに共通してたことだが、ほかのヨーロッパ人を内心馬鹿にしていた。細やかさと緻密さ、民族の一体感が不思議と日本人に似ていた。そして、封建的で単純に男性がフンフンと威張っているような点でも、似ていた。(例外な方もおられましょうが、フランスとイタリーの愛嬌よろしい男性と比べての話ですよ。)

 「自分たちの方が余力もあり、本気になったら日本なんて大したことないよ。」と、「なんで、そんなに働いて人生が楽しいの?経済ばかりが大事か?」と、ドイツの医大生に言われた。「日本人なりに休みたいんだ。でも、大きな経済の車輪を組み替え、急に止めようと思っても軌道を変えたくても、できないんだ。たくさんの房がぶら下がっていて、とても重いんだよ。」と、話した。「見えない日本が見えてお前の話は、おもしろい。」と、最後は20人ぐらいに囲まれていた。

 ベンツを味わいながら、JAZZファンの彼女は夕暮れの黄昏時、最近の「ナベサダ」のスロウなサックスをかけた。何処かしら生きる姿が浮かぶようで、余分な力が抜けて淡々としていて、心地よかった。

CAR STILE

2004年6月5日 日常
 そうそう、今日は51歳の友人が来る。外見は三十代後半に見えるし、ベビーフェイスながらも「凛」として、とても美しい女性だ。

 Drの奥さまなのだが、何故かずっと国産車に乗っていた(お医者さまってBMWが多いと思うんだけど)。この頃、リミテッドの美しいベンツに替えたんだそうだ。ベンツやめられないわよぅ〜、と電話で言っていた。

 わたしは現在、俗に呼ばれる国産のスポーツカーに乗っている。60歳ぐらいになったら、スポーツタイプの赤いベンツに乗りたいなぁ、と思っている。

 実は、東京に住んでいた20歳の頃のこと。新宿へ向かう片側四車線の信号をトップで”ぶッちぎる”メタリックピンクのフェアレディZを見た。運転していたのは、なんと「おばあちゃん」だった。それが、「ふふん♪」という感じ。

 彼女に、一瞬で憧れてしまった。髪を一本に結んで、大きなサングラスをかけ革のドライビング手袋なんか、してね。素敵だったよ、あのスタイルは。

 ランチは二日間、評判のよいところを予約している。食事をして二人で美術館などへ行って、ホテルへ泊まる。夜はワインをチビチビ飲みながら語り明かす。決まって、彼女と夜明けを見る。

 息子と一緒に眠らないのは、これで二回目。彼が生まれて一人で外泊することは、滅多にない。なかなか、できない。

 彼女は三年前に癌を患い、忙しい夫の間に溝が深まった。息抜きで来るので、母のお許しが出たのだ。

 では、いってきます。

Good Song♪

2004年6月4日 音楽
 夜の散歩に行ってきたとこ。息子と夕暮れの野球に混ぜてもらったり、夜のスポーツクラブなど、あっちこっち覗きながら歩いた。

南フランスの彼にキース・ジャレットの「The Melody At Night With You」を送った。これは1年前からマイベストワンで、精神的なテーマソングと言うかなんて言うか、とにかくキースの溜息まで聞こえてくるスロウなピアノが心の旋律に触れ、ベースに戻してくれる。

 アマゾンで評価の良かったダイアナ・クラールもミーハー精神から同じ頃に買ったのだけど、一度しか聴かないでいる。何ていうか奥行きがないのか、飽きる。
 
 今日はアマゾンから、先日話していた「Le Petit Prince」と加藤恭子著の「星の王子さまをフランス語で読む」が届いた。前々から、フレンチをもう少し覚えようと思っていたので、まぁ、がんばろう。白状すれば、中国語も中途半端で。まったく語学に関しては出鱈目。ふうう、心を入れないと、ね。

 いま、中国土産の桂花茶を飲みながら(三歳の息子の遊びと質問に答えながら)書き込みしているが、(うちの息子は元々しつこいし念入りなので、こんなときは正直かなり大変)ウーロン茶でも何でも、その土地の人が好んで飲んでいるブランドのものが、とても美味しい、と思う。

 日本だって、そうだよね。

 昔々スポーツができて目立ったこともあって、中学生の頃から高校にかけて男女の「おっかけ」が不思議なほどいた。毎日手紙をもらったり写真を撮られたり盗撮されたり、本当に大変な目に遭った。度が過ぎるので正直なとこ迷惑なほどだった。異常なファンは、体操着も制服も教科書も盗んでいく。買い直す度に母に叱られた。

 年子の妹は、わたしのプライベートについて質問攻めにあうらしく、家に帰ると「誰々が、かくかくしかじか〜〜〜。」と、話しかけてくる。14歳のわたしが入るトイレのドアの前でも話していたこと、、、。

 「でもねー、ねぇちゃんはね、絶対外人と結婚する。ミカはぜったいぜったい、そう思う。」

 なんでそんなことを言うのか、当時は不思議だったけど、最近それを思い出して、なるほどなぁ、と思ったりして。

Ptite Prince

2004年6月2日 恋愛
 彼のフライトスケジュールが決まった。多忙なくせに、仕事に小さな穴を開けても来るんだもん。

 近所の香水工場が爆発して、女性が亡くなったらしい。警察からの仕事で今日は大変忙しいという。でも、30分でも時間を作って、話す。

 こういうことって国籍に関わらず、人よる。日本人にも少数だが、ちゃんといる。

 でも、あれだね。愛の豊かを知るひと、かな。日本の窮屈な資本主義スタイルに飲み込まれないで追われないで、いられるひと、かも。

Amazon

2004年6月2日
 「星の王子さま」のフランス語版と解説の二冊をアマゾンで注文した。割引券があったので1100円、とても安い。

 わたしは、アマゾンのオンラインショッピングが大好きで、ん〜、もう大好き。特に、田舎に住んでいるので本とCDは、たまらない。配送代がかからない上に、欲しいものがすぐ買えて手間暇いらず。

 先日は、息子の新しいBarny(三冊で1500円)が届いた。以前は、もっと安かったのに一律500円になってしまったので、残念ですよね。

 それから、外国製の卓上掃除機(5000円)、デザインが良く機能もGOOD。母の日に、切れ味抜群のヘンケル調理用バサミ(3000円)。でも、母の日ギフトに「鋏」だけじゃ、色気が足りな過ぎるので、シルクのブラウスをスーパーで二枚買い足しました。

 その前は、リュウマチになった母が歯磨きが思うようにできなくなったので、電動歯ブラシを三本。ついでに家族の分も買った。(それが、近所の電気屋さんやスーパーよりうんと安いの。)

 そして先週、プチロワイヤルの和仏辞書(5000円)が届いた。最近でも、ざっとこんなとこで。かなりのファン(お得意さま)のつもりです。

星の王子さま

2004年6月1日 恋愛
 南フランスの彼が日本に来るべく、飛行機の予約を入れたようだ。昨日は、地元の飛行機クラブの仲間と海まで自家用軽飛行機で飛んでいて、帰りのフライト前に操縦席から「おやすみ」の電話をくれた。

 この頃、彼がサン-テクジュペリの星の王子さまとイメージがだぶる。読みたくなったので、アマゾンで輸入版を調べよう。

 この六月は、わたしのメインの仕事が一年の中で最も忙しい。しかも、五月の約束を流した宿泊のお客さまが今週もあり、結婚式もあり、プライベートをとっても週末は埋め尽くされている。カレンダーを見ただけで忙しい。そしてお金がバンバン飛んでいく予定なのだ。

 だが、しかし、断れない。いつも、断らない。物事や人間の気持ちには「旬」と「流れ」がある、という考えが染み付いている。

 まぁ、体調も悪いので今月は睡眠不足を絶対いたしません。
 無理しません。
 自然でいきます。
 集中して要領よく、がんばります。
 
 ところで、今日は別居中の奥さまが彼の会社にお金を取りに来たんだそうだ。話によると、株の45%を持っているという。これはこれは、ややこしい。ややこしいなぁ。まぁ、難しい話は会って話そうね、と終わった。そりゃ、お互い長く生きてれば、いろいろあらーねぇー。

 彼が「女房」なんて言うと、胸がチクンと痛む。

 

点と線

2004年6月1日 生きるために
昨日は予定通り心臓の専門医に診てもらい、24時間心電図か何かお弁当箱みたいなものを、さっきまでつけていた。最近は一週間ごとに血液検査と称して血液を採取している。検査は、結構お金がかかる。

 今回は、大小ハーフ丈の試験管に5本ぐらいに採った。血管炎症度をまずみよう、とDrが言った。もっと、早く総合病院の内科を受診すべきだったかもしれない、と思った。

 ところで、血液を採取しながら年配の看護婦さんと話が弾んだ。名刺を求められたので、簡単にあげた。それが、今朝早々に電話があり、お茶を一緒に飲もう、という。何だかキナ臭い。

 「宗教やら化粧品、なべ、布団の話なら会議もあるし忙しくてお断りですよ。」と、わたしは言った。「そんなんじゃぁ、ありません。人間として個人的に非常に興味が湧いたんです。田舎にこんな華のある方がいるのか、って思って。」と、言った。仕方ない、お茶の約束をした。

 病院で検査器の取り外しが終わり、約束の場所へ。美味しいコーヒーが好きだという。でも、近くにあったのは「SBC」。今の世の中をどう感じるか、というので色々と話した。妙に質問が多かったのだが、わたしは答えに窮することって、ないタイプ。たとえば、面接も長くなる。自分の目で見てきた自論と哲学を話し続けることに限っては、かなり迫力があるらしい。その真摯な表情がキレイだと、政治家に向いてる、と言われる。笑っちゃう、全然興味がない。

 独身のせいなのか、彼女は58歳という年齢の割りに精神的に成熟せず子供じみていた。話の中盤で、地方紙と本を出した。これを読んでみて、と差し出したのものを見遣ると「日蓮だいしょうにん」とかなんとか。まじめに見てないので、覚えていない。

 くそ、やられた。あきれた。時間をどぶに捨てた。参った。「しまってください。」と言ったら、5年後に日本は全滅、滅亡する。あなたを救済したい、と言った。滝に打たれて来い。まったく。

 宗教に溺れている。しかも、心的態度が悪い。まず、基本的に自分を理解しない人間を恨んでいる点が強かった。あれじゃあ、一丁前にならないだろうなぁ。

 3歳から80歳までの色々な人間が理解できるような態度をとれるよう教養を身につけて、時々は片足を外さないと真理が見えませんよ、話した。何のことやらさっぱり、わからないみたいだったので、「まぁ、いいです。幸せになってください。」と、別れた。

 物事は、「点」で見ても、一面から量っても仕方ない。どちらかと言うと、ライン「線」がわかる、それを引く、多面で捕らえることの方がとても大事だ。

 浮き輪を投げたが、彼女には見えないようだった。溺れるものの、水難救護は難しい。
 携帯からの国際電話の登録を申し込んだ。まぁ、仕方ない。

 名前を出せない知人の映画監督(母のみ知る)がいて、職業柄から、また生い立ち上からも家族愛や男女論に長けている。時折思いついてメールを入れたり電話をかけて恋愛談義を交わす。最近かなり忙しい方なのだが、ゆうべ時間を分けてくれた。

 彼は年齢が少し上で独身、芸能界という派手な世界に長く身を置いているせいか、凝縮されてるような経験をともなっている気がする。

 性格は、誠実で優しく頭がいい。一見冷淡なようで、さっぱりとした彼の優しさは本物だと思う。男性を知るたび、その言葉の重さを知る。視野が広いのに物事の狭義に迫るわけで、表現力に奥行がある彼と話すと、スッキリする。電話を切った後は、まるで気持ちのいいシャワーを何年ぶりかで浴びたかのようだ。田舎には、いないなぁ。彼を手放した女優は馬鹿だ。間違いなく、後悔してると思う。

 
 フランスの彼について話したら「リスクが大きい。」と言い、枯渇した砂漠上のハートに水が沁みるように愛へと走っているなら冷静さに欠けてダメだよぅー、などと良くない感想を述べていた。(でも、愛情表現に濃厚なフランス人だしね。女性を「かわいくて美味しい砂糖菓子」の如く扱うんだよね。)

 そうだよ、始まったらリスクはある。でも、そんなのお互い様だよね。彼の方こそリスクも高い、わたしの方からだけ量れない話だと思う。何かを選択する場合、犠牲も伴うし捨てなければいけないものも必ずあるわけで。

 なるべく上手く生きることを心がけるべきだが、一方的で打算的ではいけないと思う。必ず、自分の人生を下げ相手をも下げる。そんなの、馬鹿らしい。

 若く才能と勇気ある男性が目の前に何人か現れ、「愛したい。」と、わたしに言う。

 あなたなら誰をとるか。何をとるか。何処を見るか。

 わたしは十数年後、年老いたふたりの生活を想像してみる。いまと大して変わらず、のびのびした自分と彼が見える相手を、選びたいなぁーと思う。

 いかがでしょうか。
 ピレネー山脈に近いフランスの最南端から二週間後、彼が会いに来る。日本へ行くことを三人の子供たちにどう説明したらいいのかわからない、と言った。わたしと一緒に歩くのか歩かないのか、未来を考えると大きな不安に包まれる、と言う。

 何度か逢った後も、本当にお互いが一緒に前を見ていたい、と強く考えるようになったらどうするのか、と聞かれた。それならわたしは迷うことなくフランスに行く、と話した。

 最近よく思う。

 お互い好き合っていて、ひどい喧嘩を激しくしながらも一生懸命上手くいくように日夜頑張っているカップルのみなさん、大変申し訳ないけど、ダメなものは始めからダメなんじゃないか、と思う。ふたりには他のベストマッチが、待っている。タイミングよく別れた方が、いい。

 カップルのトラブルで、それが話し合いをするとか、何かルールを設けて上手く乗り越えられるなら、それはれっきとした「縁」がある。時に笑い悲しみ、寄り添えるべくして変化する生活の状況に乗れる、相性も弾力もある良いカップルだろう。

 感情的に大好きだとしても、むやみやたらな男女を二人にして、長く一緒に歩いていくなんて到底無理な話だ。努力してもどうにもならないだろう。やっぱり。

 一時的に惹かれあって一緒になっても、子供が生まれたり色々なステージを次々に迎えるから、忙しくて敢えて深刻な問題にならないまま結構時間を共にして進んでしまう。これが夫婦という二人の関係を意識したとき、はたと人間的な原点に立つ、と思う。わたしたちは見つめ合って来たのか、いま、見つめ合っているのか、と。

 病気をしたり退職したり、自分が本当に生き抜きたいと、心の底から人生を思ったときだ。時間を大事にしたい、思うまま好きなように生きたい、と、この声が胸で大きくなる。

 シニアの離婚は全身全霊を会社に捧げた団塊の世代の結果、家庭を振り返れなかったことを退職金で奥さまに精算。子供も父の思い出に欠ける。そこには何もない。彼に趣味が残るなら、まだいい。

 実は、日本経済と日本の歴史が男女関係をはじめ、全ての因果なのだ。

 バブル時、わたしは東京で短大生だった。小奇麗な女の子は会員制高級クラブで効率のいいアルバイトに精を出し、買ってもらったシャネルを身につけていた。そう、「不倫」が氾濫していた。女性に貢げるお金が蝶々のように、舞っていた。

 まずは、自分の個性を大事に豊かに生きること。あなたなりの豊かな生活をはっきりさせて欲しい。それが最も、あなたに一本の赤い糸を手繰り寄せてくれる。

 月並みだが、人生は一度きり。その限られた時間の中で、お互いに深く大きく惹かれ合えるのは、ラッキーこの上ないことだ。時間の長さは問題じゃない。そして、簡単に答えを出せない大事な相手は、はじめから決まっている。

 わたしたちには秘密のヒミツ、わからないだけ。 
 
 同じ番号のついた赤い糸を2本、ベストカップルになるべくとされた、ふたりの身体の何処かに付けてくれたら、わかり易い。ネットの掲示板は、探し人で溢れる。「18476532」の方、大至急ここに連絡してください。ずっとあなたを待ってるんです。

 天国を歩いたら、必ず神さまを掴まえて話しておく。アダムとイブ以外の男女がいっぱいいて、わかりにくくて仕方ないんですって、ね。

宇宙飛行

2004年5月29日
どうも、身体の調子が良くない。まず、「静」に向かうときに(眠ろうとしたとき眠っているとき)に鼻、顔、胸がこわばって雑音をたてるかのごとく、非常に小刻みに震え、力が抜けていない気がする。そして、耳鳴り。最近なんとなく右目の下瞼が膨らみ、チックが走る。自分の力の及ばない、上半身に走っている細かい神経の問題だ。

 それから心臓の痛まない日がない。「心臓がある場所」と言われる部分の、上下あっちこっちに一日に何度かの小さな痛みがある。このことを内科のDrに伺うと、「肋間神経痛だから気にするな」と、言われる。でも、心臓は大事でしょ。

 こんな状態になっていると、不安からまるで「うつ病」になりそうだ。

 月曜日は総合病院に行って、精密検査を申し込む。いつまでも、こうしていられない。もう一年になる。わたしに出ている疾患については、ひとつひとつ消去法で進む。田舎の先生の曖昧な態度は今年はもう受け入れない。健康になりたい。何故、こんな状態になっているのか知りたい。間髪入れないで東京の有名病院に出向いてでも、疾患に対面していこうと思う。

 いま、わたしは36歳。体調不良を一年にわたり味わっている。

 いずれ、耳が聞こえなくなるかもしれない。話せなくなるかもしれない。骨が変形して、腰が曲がり姿勢を崩し歩けなくなる。髪を失う。免疫不全で、母みたいに突然リュウマチになるかもしれない。そう、皺だらけになる。若いまま、白血病や脳溢血である日突然死んでしまうこともある。愛する人を失う。泣き叫んで、この人間の性を受け入れるだろう。命の流れは誰も自由に選べない。自殺は例外として、そこだけ唯一わたしたちは平等に生きている。

 何とか長く生き延びても、いつかは今のように好きなところへ行けなくなる。

 人生の最後の最後は、なるべく絵を描きたい、と思う。誰に見せるわけでもない。たとえ歩けなくなってもキャンパスの中で、わたしは何処へも自由に飛べる。

 好きなように、宇宙の果てまでも。
「もう、間違うなよ。」同僚の男性に言われた。彼はやさしいことで、年代を問わず女性に定評がある。会社のリフレッシュコーナーで、昨日からの「ときめき」の話をしたら、戒めるような顔つきで、祈るように最後にこぼしていった。

 息子が一歳になってすぐ、離婚した。

 最後は、何もできなくなった。家庭裁判所で「わたしも幸せになりたい。息子のことも幸せにしたい。あなたも、本当に幸せになって欲しい。」と、最後に話した。彼はもらったケーキを子供に分けない不思議な大人だった。息子におもちゃのひとつも買わなかった。それに何か理由があったのか、どうしてかはわからない。想像もできない。

 大して深く付き合うこともなく、見合いのように結婚した。はじめから最後まで、わたしは深い愛情を感じることができなかった。感じたかった。そして、軽い記憶障害を起こしていた。相談できず、不安が心身を埋め尽くした。

 いろいろなことを経験して、わかることがある。

 子供を産んで世界が広くなった。離婚をしてカップル、パートナーの本を読み漁った。日本にだって、大手を振ってふたりが駆け込めるカウンセリング機関があれば、まだまだ上手くいくカップルも多いかもしれない、と思った。体調が悪いことで、やさしくなれたこともある。長い病気もしなかったら、病で不安な人の気持ちに近寄れないで、のほほんとしていただろう。

 誰もが好んで経験する必要など、ないことだ。でも、痛みをともなう経験もプラスに転じれば、流した涙も全てダイヤに変わる。

恋の種

2004年5月26日 恋愛
 いま携帯電話を切ったとき、初めて彼はフランス語で「ジュ・テーム。」と、わたしに言った。南フランスの高速からだった。
 
 時差が夏時間で7時間、あっちは午後三時だ。お天気は曇りのち、すごい雷が走ってるという。お得意様の玄関先まで切らない、と言い、取引先の方が出てくるギリギリまで話している。

 はぁ〜、トレビアン!さすがだ。
 ふぅ〜、熱い溜息がわたしの胸から漏れる。

 そう、パリ旅行中は信号が変わって雑踏に取り残される若いふたり、「かわいいキスシーン」を何度かみかけた。青が赤に変わろうと、何度信号が変わっても愛を確認し合う二人には関係がなかった。それを、思い出す。

 彼はわたしを思って朝方まで眠れない、と言う。一日中考えている、と。一線で働く43歳の博士は、まるで15歳の男の子みたいに熱い思いを話し続ける。忙しい仕事が身体に堪えてくるので、ゆうべはとうとう睡眠薬を飲んだんだって。
 
 うわぁぁーーー、小さな声で言う。
 しぃぃぃーーー、絶対内緒だよ。
 あのね、実はさ、今日はね、
 胸の奥が騒ぎ立ててるよぅ。
 これはさ、、、う!
 ひょっとしてね、、、あ!
 恋の新芽かも。

 お久しぶりです。
 大変お待ちいたしておりました。
 
 ところで、フランスの携帯から日本のDocomoに五時間かけたら、一体いくらになるんだろう。考えると、考えれば、考えられない。

 「まぁ、おっかないわ。」叫び声に振り返ると、財布が小刻みに震えて恐ろしげな顔。

赤い糸レッスン

2004年5月25日 恋愛
 
 直感は大事だ。どうしようもないことも、たくさんある。わかっていても、自分の意思によらない何かが起きる。事故なんか考えればわかるけど、物事のタイミングだって方寸違って結果に天地の差が出るんだから。

 だからあえて思うのだけど、ゆったりと自分を生きて「本物の赤い糸」は絶対ある、と思う。若いと、誰かの幸せそうな表情に押されないで、急がないでいられないけれど。

 誰かと深く付き合った経験がある人は、ひとりでいる淋しさに耐え切れなくて、次々恋に落ちる。でも、なかなか本当の自分(内面の)に合う正しい相手には上手く出会えない。実は、わたしがそうだった。

 「適当な結婚でよし!よし!」と、しないなら淋しさを卒業して「自分探し」を、一度おすすめしたい。あなたの心にある湖の底が見えるまで、深く深く潜ってみて欲しい。

 この世に生まれてきた、その命と、共に宿る魂をしっかり
 
 自分の両手で抱き締めよう。

グレイ

2004年5月24日 恋愛
 ここ最近、興味が湧かなくて持て余していたメールフレンドがいた。社会的には、「ある組織のトップで代表」という立場で九つ年上だった。彼に頼まれた仕事があって取引先を紹介、その間に入ったことで怒らせないよう態度に気をつけていたが、そっちのカタが何とか付いたので、本日ジ・エンド。すみません、ご飯は一緒に食べれませんです。
 
 社会的地位があるから人間性はどうか、魅力があるかというと、どうもイコールではない。夢も品もない人が、多くいる。人間関係は色々な仲があるが、年齢は全然関係ないと思う。この世の中にどこもかしこも全部ダメな人なんて絶対いない。でも、自分で自分を伸ばす力というか、良さを認めて活かす力が弱い、とよく思う。
 
 しかし、どうなんだろう。少し考えてしまった。

 わたしのプライベートな時間は、とにかく白黒はっきりしていてグレイの部分は、まずない。仕事だったら「お前、全然気に入らないんだわ。」とは、言えないから柳の技もあり!なんだけど、ネットでも日常でも個人的な関係だと「お互いの限られた時間がもったいない。」と、心底思うから、相手に正直に接して思ったことを話し続けている。求めているものが違うことが多いわけで、しっかり主体的に関係を執っていかないと無駄に流される。自分の求めている、欲しい人だけ欲しい、と考えていた。ベストマッチなんて、滅多にない。まず、ない。まぁ、ない。

 しかし、結果というか関係を結び続けることを計算しないストレートパンチは不用意に相手を深く傷つける。心に手痛い言葉を浴びるから、友人知人でもいい、と好意を寄せる人までも逃げていく。それでいい、と思っていた。

 ひょっとして、無理のないグレイの態度ができるなら相手が自分の力で少しづつ変化していく楽しい様子を見れる可能性だって、場合によってはあるのかも、と今日思った。極端に無下にする必要もないか、と。しかし、こっちに「その気」がなくても「性的関係」を意識しない男性はいない。この辺りが、大変難しくなる。

 ご縁によって、面白いようにゴロゴロ人生が転がるタイプがいる。誰にも何にも、ほとんど左右されず大きな樹木のように真っ直ぐ生きれる人もいる。わたしは、前者だ。何歳になっても素直でいたい。いつまでも、感動と驚きを持って堂々と生きていきたい。

 やっぱり、グレイは無理無用か。。。
 せっかくだから、今後のちょっとした課題に取って置こう。

周波数

2004年5月23日
 女性職員の一泊二日研修旅行だった。県内を散策。体調もいまいち、バスの揺れも利いて疲れたが、とても良かった。一緒に行った息子も大喜びの様子だった。

 今朝は7時から五人でサイクリングを楽しんだ(レンタル自転車は一時間100円と格安)。軽く霧がかかる小高い丘と山々、放牧されている茶色や黒の牛を見て、爽やかな朝食を摂った。黄色でツヤツヤのスクランブルエッグにパセリがかかった、卵がとても美味しかった。

 昼前にカムロファームというところでフェルベラという種類の馬に乗った。息子は興奮気味。ランチはピザとオーガニックの紅茶。普段フロアが違って話せない面々と話せない話を楽しんだ。いずれも「ゆったり」と時間が過ぎて、気分はまるで北海道への三泊四日。大自然を満喫した感じ。

 昨日は、林業家の柿崎ヤス子さんという68歳の女性に逢った。飾らない、ありのまんまの真実がそのまんま伝わってくる落合信彦が大好きなんだそう。うちの母と一緒だ。音楽は「南こうせつとさだまさし」だ、そうだ。素朴で賢くて面白い人だった。何だか、本も二冊出している有名人らしい。「たくさんの会話が心や関係を育てる」と、話していた。わたしも、そう思う。お土産に菊の花の苗をみんなは一株づつ、「あんたんは、何かイイコトがあるかもしれねーがら。ほれ!」と、わたしは二株頂戴した。72歳の旦那さんも「あんたにだんげ、やる。」と、わたしにだけ名詞を渡した。
 
 率直でわかり易くて目立つせいもあるのだが、何でか有名な人(ヤーさん系も含め)とか、前向きで明るい老若男女に気に入られる。共通点は、ハート勝負で生きて来た、生粋の、純粋な人、かな。単純にテンションが同じだから、なのかもしれない。周波数の合う出会いは、人生の醍醐味を味わう。

 このところ、週末はずっと出かけっ放し。休みない、切れ間ない、夜も会議が二回入ってたし。今週は、上手く仕事をやっつけたら「ズル休み」をして、骨休めを入れたい。

 久しぶりに胸から雑音がする。眠る。
今朝、出掛けに玄関先でカーラーと孔雀草などの大振りな花をいただいた。彼はいま、72歳。既婚で、とても奥様と仲良し。でも、時々手紙やお花、北海道で採れた昆布をわたしにくれる。

 自分が過ごす部屋や居間に生花を絶やさないようになって、一年が過ぎた。造花でないから、この美しさを楽しめる時間が限られる。花が、床に落ちていく。萎れ、必ず枯れる。この花々も、ひとつの小さな小さな種から伸びてきたのだ。美しい花が咲き、枯れて、その一個の種の時間が終わる。

 わたしたちも元々は、とても小さな人間の種。三歳の息子が起こす癇癪を見ていると、持って生まれた「心の種」がウズウズと、動いているようだ。人間の「癖の玉」というか、なんと言うか、、、。

 わたしのカラダの方は、ぐんぐんぐんぐん伸びて約171センチ。「こころの種」からは、一体どんな花が咲いたのか、これから咲き続けるのかはわからない。けれど、自分の心に埋まっている種は芽吹かしていきたい。若さは、それだけで素敵だ。でも、誰だって老いる。死ぬまで、心は美しく咲き続ける。それがセンスなんだ、と思う。

 昨夜、リュウマチの母がTVで歌う松田聖子を観て「聖子ちゃん、かわいい。」と、呟いた。

旬を逃すな

2004年5月20日
 わたしは、写真家の土門拳が好きだ。有名過ぎるが、14年前パリの近代美術館で行われていた写真展で衝撃を受けた、ロバートキャパも大好きだ。あのとき、わたしの外に真剣に観賞していたパリのオカマが二人いて、ハーフ丈の黒い毛皮に身を包んでヒール、頭はスキンヘッドだった。「パパパ、パルドン、マダム、、、、。」と、お願いして彼らの写真を撮らせてもらった。囁くような話し方がとっても可愛かった。

 自分に寄って来る仕事もそうだし、頼まれても写真を真面目に撮る機会が大変に多い。でもでも、本当は何も知らないズブの素人。みなさん、ごめんなさい。いい加減、そろそろ写真の構図や理論をしっかり学びたいと考えている。隣町に「ナショナル・ジオ・グラフィック」という、わたしが敬愛する雑誌に何度も入選し、キャリアがあるお爺さんが住んでいる。彼が高齢ということもあって、一度お会いしてみたい。急ごう。

 MNの友人が米版「National Gio Graphic」(年間6000円ぐらい)を二年に渡ってをプレゼントしてくれてた。でも、英語なだけにわたしの語学力では読めず、内容はされとて写真もきちんと見れなかった。、、、。あれだけの写真を撮ろうと思うと、道具が違うな、と思った。でもまぁ、今年は首を突っ込んでみよう、と思う。
 
 今日は、「イチゴ狩り」を生まれて初めて体験した。実は、息子の遠足で土門拳記念館付近を散策した。午後三時帰宅後、JAと輸出業務の打ち合わせ。二週間前に依頼した件がまるで進行していないため、バスに揺られた頭痛を堪えての訪問。人の気持ちと物事には「旬」がある。食品を扱うなら、そのことを肝に銘じて欲しい。

 夕方、二時間眠っていた。

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