二度目の救急車

2004年8月28日
 ゆうべ、救急車に乗った。
 スピードが遅かった。
 でも、点滴一時間で元気になった。
 恥ずかしかった。
 職場の生ビール会の席の途中、
 気分が悪くなり大きな頭痛と共に意識が遠のいた。
 美味しく楽しい宴会をブチ壊してしまった。。。
 手足が痺れて、血管が切れたのかと思ったので
 「怖い。怖い。」と、大騒ぎしたのだ。
 どうも人だかりの山になったらしい。
 そして群集にいた親類が、家と親戚中に電話をかけ混乱を来たしたという、母の話。
 参った。元気だ。
 
 原因も知っている。言えない。
 あなたには小さな声で言う。
 ただの寝不足だ。
 いつものことなのだ。
 実はね今週はね約三日、理由あってオールナイトだったんだよ。
 だから、さっき十分前に
 ゆうべ県立病院のDrにもらった睡眠薬を飲んだ。
 でも、なんでか、効いてこない。
 寝ないと、カラダを壊してしまう。
 今日取材した歴史家の先生は、いつも全てお見通し。
 事情を告げたら、すぐに答えた。
 「寝不足したろう?もっと上手に生きなくてはだめ。だめだめ。無理したってだめ。」
 
 わたしは彼が大好きだ。もうすぐ88歳か。
 いつも、わたしを上手く生かすひと。動かすひと。これは相性。
 東京で生活していたわたしは、
 ある日突然、運動着を着た三人組に荷物を2トントラックで盗まれた。
 仕事から帰ったら部屋に誰かがいる。ギョッとした。
 大家に鍵を借りて、アパートでお茶を飲む三人組はよく見たら、両親とおじ様だった。
 「よっ!荷物全部持っていくからな。」

 突然帰った田舎で、始めは記憶障害にでもなりそうだ、と父に腹を立てていた。
 悶々として、八月お盆まで受験をためらっていた1990年。
 
 一体自分は何しに生まれてきたんだろう。
 そればかり自問自答の毎日だった。
 
 いまの職場を受験するきっかけになったのは、当時歴史の編纂を行う彼のすっきりした一言だった。
 
 そして、わたしは追い込みをかけて一ヶ月だけ一日15時間勉強した。
 
 彼の家に行くと勉強したくなる。本が読みたくなる。
 弟子に誘われている気がしてくる。
 お土産は、本、本、年表、文献、資料、資料がいっぱいだ。
 
 睡眠だけは規則正しくとって長く健やかで、いたい。
 そして淡々と、思うままに生きたい。
 やりたいことが沢山あるんだから。
 たくさん、たくさん。
命あることはそれだけで美しい、と思う。この頃の話し。

 そこに宿る情熱がキラキラと燃えて見える瞬間は尚のこと、美しさを感じる。

 性別に関係なく、何歳であっても、どんな顔立ちでも、
この世で天命をまっとうしようと、その姿は健気で大好きだ。

 夏の終わりの線香花火は、盛りを過ぎて枯れに向かうシーズンの雰囲気も手伝って、人魂の如く一生を感じさせる。

 火薬の多さは、それぞれ違う。

 勢い良く、最後まで元気良く燃え尽きれるもの。

 初めから最後までポショポショと、儚げで長いもの。短いもの。

 初め細く、後半に幾ばくバチバチがんばるもの。

 火薬の重さに耐えられず、ジュッと落ちてしまうもの。

 わたしの人生は、一体どうだろう。その半分を折り返した。
 
 やはり夢を叶えたい。何とか上手に長く燃やしていこう。

笑う財布

2004年8月22日 趣味
すごーい!

今日は閉店最後までお客さまが離れず

青空フリーマーケットで六万円も売れた。過去最高の快挙だ。

おもしろかったのは、ベルトが好きな人はベルトを二本買う。

靴が好きだと靴を二足買っていくことだった。

昨年70歳にほど近い、ブルジョアのおばさまにもらった

ミンクのコートが飽きれるほどの上物で、

きっと○○万円か、

もしかすると○○○万円で仕立てたモノかも知れないのだが

わたしは身長が171センチ、彼女153センチ

着丈と、デザイン的にアームが「ご婦人」過ぎて着れなかった。

これを三万円で売ったのが、大きい。

しかし、はぁぁぁ、疲れた。

朝の九時から午後五時まで、お天気も最高。

水を1リットル以上飲んだ。

風が吹いていたのが、幸い。

たまたま噂の陶芸家もいて、ついでに取材も済ませて万々歳。

ネギって喜んで買ってくれたみなさん、

彼女に買ってあげた、あの太っ腹の彼氏、

つけた「おまけ」にキャピキャピ満足してくれて、

本当に、どうもありがとう。

笑顔がこぼれて、とっても楽しかったですね。

パリまでの旅費が四分の一も浮いて

一日子守代金を母に払っても、

ブイV!ブイV!財布が福笑いっす。
さて、何か物事を本当に成し遂げようと思ったら
巡り合わせの不運だの不幸だのに思いを馳せらす暇はなく、
他人の一瞬の言葉や刹那な態度など、
まともに買っていられない。

 日々、いろいろな人にあって、いろいろなことが起きる。
どういうベクトルでシフトをしていても、
人間の持つ「情熱」こそ、かけがえがない。
年齢は関係ない。人材こそ、全てだ。
ところが、情熱があっても自尊心が低いひとが多く、
不燃焼だ、と思う。

 そういうひとは、依存心も高い。
自分の大事な人生なんだから責任も取るわけがない誰かに依存しないで、
と言いたい。

 わたしは言いたいこと言う。怒ることも、多々ある。
いけすかない「癖」に出くわすことも、ある。
 だけど、いま巡り合わせた人材で勝負しなくてはいけない。
近くに寄り添う相手の気持ちは切れない。もったいない。
受け入れの「沼」というか、「湖」みたいな部分を持たなければやっていけない。
自分と相手の縁をベターに長く活かそうと思えば、
いつも正直過ぎる鏡では、いられない。

 お互い選べない運命共同体というか、
「仲間」という情から「しなり」も生まれるので
心的態度はとても大切だ、と思う。

 口からついて出る、その「言葉」は生きている。
 
 今週は頑張らなくてはいけない。
地元の新聞の編集がある。対談もある。写真を撮る。記事を書く。
 
 明日は、フリーマーケットに出る。これから、準備をする。
渡仏することもあって、なるべく荷物を減らしたい。

 生理が10日遅れている。いまだ、かつてない。
 彼に話したら、
「Chatで妊娠したのかよ、おいおい。」と、笑った。

 どこに、行ってしまったんだろう。心配だ。

目には、歯を。

2004年8月16日 恋愛
 なんていうか整理できないので、うまく言えないんだけど。

 実はこの頃、子供たちの色恋沙汰の教育を話していて、きまずくなった。「ここは日本じゃなくて、フランスなんだ。」と、彼が言った。その態度が、一方的で「耳」がなかったのが気になった。彼は、全然怒っていない。自分が正しいと信じているだけ。

 それは、そうなんだけど。coversationできないって困る。まして、二人でカップルを目指している。

 流せば、流せたんだけど、現在一番近くに生きる人なので、そうもできないか、と思った。大事な話だしね。

 まぁ、わたしの悪い所で知らない振りができなかった。感情に溺れるのが、あまりスキでない。考えた挙句、突っ込んでしまった。

 そして、その突っ込みは失敗に終わった。

 まず第一に、状況が離れ離れで若い生卵を割らないようにふたりで愛情を確認し合う毎日だった。

 第二に、言語や文化の差を電話やチャットで埋めるのは、至難だった。

 彼は、ただただ「がっかり」しただけだった。生きるエキスがまるで抜けてしまったみたいな声を出した。可愛そうになって、電話の目的を後悔した。

 やっぱり。機転の利かない女性は、愛情上手になれない。反省しかり、だ。

 滝に打たれてきます。とほほ。
亡くなった友人は母ひとり、子ひとり。

お母さまは激しく泣き続けている、と

葬儀の後の弔いに出て欲しい、と今夜仲間からの電話があった。

二十歳のときのバイト仲間で、

東京都内四車線を走るバイクで死んだ

当時22歳の彼も、ひとり息子だった。

大学四年、官公庁の就職も決まって

次へのオフタイムでの死だった。

その、若い人が夥しく溢れる告別式で

お母さまの泣き叫び、その呻く嗚咽は、特に痛々しく

老衰で亡くなった、隣の葬儀との差が激しくもあって

場が、特に「非情」だった。

まず、若くして、親より先に逝くのは罪だ、と思った。

悲しかった。泣いた。

あまり泣いて、当時の彼に冷やかされた。

「まるで、自分の恋人でも亡くなったみたいだね。」と。

わたしたちは、別れた。

ただ、セックスで結びついている必要はなかった。

しばらくの間、深く考えさせられていた。

バイクの免許を取ろうと思っていた矢先でもあり、

この予想外のアクシデントを重く受け止め、諦めたのだ。

だから、あまり悲しい場に行きたくない、と

今回の弔いへの出席は、小さく断った。

悲しみに明け暮れるお母さまを、見て泣きたくない。

できることなら、

親より先に、逝くべからず。

我が子は、大きな大きな玉石の喜びで悲しみで

涙と感動を増す。人生を重く複雑に高める。

命は買えない。

あなたの存在の代替は、ない。

できることなら、長く生きていこう。

あの、いのち。

2004年8月12日 日常
同級生が、亡くなった。

自動車事故で、即死だった。

勉強はできなかったが

みんなに可愛がられた男性だった。

彼の居眠りが原因らしい。

好きな車を買って道路を走る。

いろんな年齢の、いろんな人間が、走っている。

長距離トラックの運転手は、よく缶ビールを飲みながら

運転している。

まさか、というくらい、本当に、凄い運転をするヤツがいる。

自分の道路ではない。

チョコチョコうっかり、ハンドルを握って

よそ見をしたり

アクセルを踏み込みすぎると

避けられるアクシデントも、避けられない。

あなただけの道でない。

たくさんの命が載っている道だ。

その人生や夢が、あっちこっちの道路の上で

一瞬で、途絶えてしまう。

車を触ると、硬く冷たい。

わたしは、三菱ふそうが許せない。

とても、とても。

昨日も、わたしの前を走る。

お香典を届けた今夜も、わたしの隣を走る。

殺人トラックが偉そうに

平気で日本中を走り回っている。
 この頃、ずっと思っていることがある。

人はいろいろな感情を抱くわけだけど、たとえば。

相手を許せない人は、自分をも許さないと思うし

信じない人は、自分すら信じていない。

物事の結果は、まず第一に他人のせいだ。

失礼な人は、自分にも失礼なんだと思うし

自分を大事にしない人は、他人を尊重しないから

相手なんか大切に、しない。できない。

 自分の感情がたとえば、相手に向けられていても

それは化けることなく自分に向くときの力と同じなんだ、と。

寸部の狂いなく、そう思う。

 まさか、他人のように汚い言葉で批判をする。

しかし、それは自分自身を深くナイフで切り刻んで見える。

その空気に、言葉を吐く者の血が滲んでいることに

気づいて離れる人は、とても少ない。
 この、存在。
 
 白い肉がある。
 
 白い骨を包む。

 この手も足も、今のところわたしに忠実だ。
 
 時に、感情に揺れる心がある。

 しかし、魂の声を聞き分け生き抜いていく。

 わたしは、ゆうべ電話のあとで泣いた。

 身体の調子が悪い。

 でも、この一年を自分らしく楽しんで生きて

 ひとりの男性といま、一生を見つめ合う。

 この頃は、ラテンの彼のホットな愛情に包まれ

 彼の腕の中で死ねるならいい、と思う。

 頼んで彼の手で殺してもらうならいいか、と思う。

 「もしも、わたしが重い病気を患って最後のときを迎えると

き、あなたの黄色い飛行機カナリーで、深い深い森へ連れて行っ

て欲しい。そして、わたしは、あなたの腕の中でこの星で生きた

最後の日、最後の時間を迎えたい。それは、とても幸せだから。

わたしの願いを覚えていて。」と、伝えた。

 何やらポツポツと熱い涙がこぼれて来た。あららら。

 そんなことを心から願い、話せる人に巡り逢えて、

 久しぶりに泣いた。

 まるで雨に打たれた身体を

 シルクの温かい毛布で包まれたみたいにホッとして

 とても幸せな気持ちだった。 

AIDSのことで少し

2004年7月15日
 子供を授かったのではないだろうか、とこの一ヶ月考えていた。それから、真面目に再婚する予定がある。一緒におじいちゃんおばあちゃんになろう、と求め合っている相手がいる。
 
 実は一週間前に、ずっと気になっていたAIDS検査を受けた。
 昨日生理があり、妊娠は「シロ」。
 そして、AIDS。今日結果がわかった。「陰性」だった。

 お会いした役人の話を聞いて、理解したことも多かったので、検査を受けて良かった、と思った。だから、その辺をズバリ言う。
 まず、やっぱり「アナル」の行為が一番だ。精液が残留することで感染の確立を高めてしまう。それから「口」。これも飲み込むことで体内に残留するからだ。勿論、膣内射精であれば同じだし、「受身」になる人の感染率が高い。

 母乳ルートは、主食がおっぱいオンリーの乳飲み子。血液感染はすぐ拭けば大丈夫です、という話を知った。

 正直言うと、わたしは離婚した2001年に若いJAZZドラマーに出会った。日本のJAZZ界では大変有名な方の弟子だった。お互いの足りないところを補うような関係になり、そして、一度だけ肉体関係を持った。年齢からは信じられないほどの、指技だった。

 それから、昨年からの映画監督。今は、兄貴のような友人のような関係が続いているが、彼らが住む世界は派手だ。打ち上げで女性を買う。接待で女性を買う。

 その気になれば、いくらでも女性を食べれるタイプ。狂わすタイプ。何人の女性と関係があるか、わからなかった。お互い一対一、正面向き合っているわけじゃない。だから、側にいる彼女たちは耐えられない淋しさから、異性関係が乱れて病気が病気を呼ぶことがあるのかも、もしかして、と、「事」のその後、彼と彼女らのことを考え、また、不安に駆られていた。

 滅多な性行為では、感染しない。でも、たったの一度の関係でも「確実に感染する条件がある」ことを知った方がいい。水面下キャリアの数が一番心配なのだ、と役人は話していた。

 激しいセックスをエンジョイする社会的地位の高いあなた、ストレスから快楽に走るあなたも、大切な愛を育むカップルのふたりも、心当たりと大きな不安があるとしたら検査を受けて、開放されて欲しい。

 そして、正しい認識を持って「肉体的な愛の営み」を正しい相手と正しく温かく重ねよう。

 自分のために、未来のために、この星のために。

人生のカバン

2004年7月11日 恋愛
 
「そんなに心配してー!その中に、あたしの幸せは生まれない。幸せが欠けていくぅ。もっと、ちゃんと冷静に、たんと本気になって。しっかりして。愛に集中してください。」と、話した。

 いつも、とても繊細だ、と彼を思う。ちょっとした表情をみて、違いがわかる。だからと言って、大きく不安になってもらっては困る。

 フランス料理からもわかるけれど、この繊細さにして、彼は日本の文化や歴史が大好きなんだろうなぁ。ジャポンにポチャンと、はまるフレンチを理解できる。別の意味で、ドイツと日本もよく似たとこがある。

 この頃、真剣にフランス語がいる。彼の子供たちと満足なコミュニケーションができない。英語が通じない。それから、今後渡仏しても忙しい彼の文書仕事のサポートができない。事業を成功して、夢も叶えたい。中国語もいる。

 これは、もっと時間がいる。仕事をやめなくては、、、。

 こんなことを悶々と考えている真剣な顔を見て、彼が無性に心配するのだ。

 人生の、わたしたちが持つカバンの中は、愛ばかりでないのよ、ダーリン。
どうもこれは、赤い糸らしい。
わたしの赤い糸は、フランスにあった。
ひとつの星の上で、取り合えずよかったなぁ、、、と思う。

まず本物の赤い糸は何があっても切れない、と思う。

たとえば、アクシデントが目に見えるとき、
ますます太く丈夫になっていく気がする。

彼が「難しい一波が来たよ、Ready?」の声をかける。
「さぁ、少し我慢して自分たちをProtectしなければ、ね。」と。

安心して、思い切り、ありのまんまの自分でいい。
自分のスタイルで、生きて、愛し合える人を待とう。
たぶん、この星のどこかに立っている。

焦らず自分の心を生きて、いつか、必ず出逢うことができる。

鰻登り

2004年6月30日 恋愛
 このままいくと、トントントーンと再婚してフランスに住んで経営者としてまっしぐら、進むことになりそう。こんなことって、あるのかなぁ。

 今後はわたしが九月に渡仏して、ご両親に会って一緒に住むために大きな家を借りるので、新しい家具を見に行く約束。

 ずっと不安なく、上向きのラブラブなんだよぅ。

 彼は、ちょっとした時間に電話をくれる。とっても美味しいチョコを少しくれるみたいに、自分がそれを美味しく食べるみたいに。

 毎日一時間ぐらい「お話」している。
 結婚後もやっぱり、そんなのがいいなぁ。
 二人で楽しいお喋りが、できる方がいいよねぇ。

あたたた

2004年6月25日 日常
時々、日記が消える。もうすぐできる頃に途中で消えてしまう。力が抜ける。探す。ない。でも、諦められない。探す。ない。ない。もう一度、書く。今日もなくなったので、おしまい。眠いもん。無理はしないの。耳鳴りになったりするから。身に余るから。おやすみ。

答え

2004年6月21日 生きるために
人生の答えは、自分の胸の中にある。

 どれも、これもだ。物事が上手くいかないときも、ある。何か原因がきっと、ある。他人の言葉や行動が、深く影響することも勿論、ある。でも、心的態度は全て自分で選べるはずだ。

 たとえば喜んで、側にいる。状況を考えて、行動を決める。物事の結果の因果に、多くの人間の癖や生き方が含まれても、自分の選ぶ道に自分で答えを求めて、出して、責任を持って生活を送れれば、誰のせいにすることもない。

 振り返ってみても、爽快でいたい。

 デートで、色々な話を毎晩した。午前様だった。イラクのことから母乳の搾乳まで、時間が足りなかった。寝不足で、耳鳴りがひどい。眠らなくては、いけない。

 彼は、わたしのMAXだ。最高になった。

FIRST☆DATE

2004年6月15日 恋愛
 あした天気が良ければ、彼は自分のセスナで空港に飛ぶ。

 そして、パリで乗り換えて成田に入る。上越新幹線で新潟へ、また乗り換えて、この辺鄙な東北の小さな町に木曜日の夕方にやって来る。

 何だか、不思議だ。でも、現実らしい。仕方ない。楽しむほか、ない。彼の無事とふたりの幸運を小さく祈るほか、ない。

 日本のご飯が食べたいと言う。

 いきなり両親に会わせるなんて乱暴な事もできないし、まったく何処で何を作ろうか、な。事情が事情だけに、ちょっと悩ましい。

世界NO.1の品質

2004年6月14日 恋愛
 フランスの彼が育てる12歳の娘に、生理が来たという。

 昔々パリ旅行中思いがけず生理になったわたしも、慌ててパリのお店の何軒かを探したけれど、古臭くて気の利かない商品ばかりで、13年前は日本の生理用品のクオリティの高さに、驚いた。この品質は、きっと世界でNO.1!だと思う。

 私に会うためだけに、カスタマーからの仕事を数十件やっつけて、日本にたった四日間滞在する彼。ふたりの娘に、お土産を買う時間を持てないはず。

 ビーズで作られている4000円(黒)と、3000円(緑)のネックレスを二本買った。ちょっと、奮発。それから是非使ってみて欲しいので、丁寧に巾着を四枚縫って上の娘に新発売の生理用品と、兎の形をした和布製のお手玉を入れた。下の娘は、お菓子が大好きだから日本の駄菓子を入れた。名前を刺繍し、かわいいボタンをつけた。

 そんな妙ちきりんなお土産なんだけども、心を込めて準備したので、少しでも喜んくれたらいいなぁ、と思う。

 滞在する彼には、リラックスしてもらいたい。そうだ、ひらめいた。海パンとゴーグル持って来てもらおう。温泉プールで、デートなら、のんびりのほほんできそうだ。

心とカラダ

2004年6月13日
 今朝の数秒首の中から聞こえてくるような、ノコギリのような耳鳴り、同時に両手が大きく震え続けた。恐ろしかった。昨日の夕方、息子の自転車乗りで首をねじって振り返りつつ、遅い息子を見守るときも、ハンドルを握る片手が強く、ガタガタと震えた。

 いろんな変調が、気のせいか夢なら嬉しい。

 こんなことばかり続くんじゃあ、突然莫大な不安に包まれる。参る。言葉が溢れて話せなくなる。精神科に走らなくてはいけなくなりそうな気がする。悲しくなる。

 もうすぐ、フランスから彼が飛んで来る。

 ふたりの何がどう進んで行けるようになるかは、わからない。いろいろ難しい話をして、たくさん散歩をする約束だけしている。わたしは、キスをする。

 ひとりの女性として人間として社会人として、健康でいたい。

 強靭な身体と心が欲しい。

ネットの彼ら3

2004年6月11日 恋愛
メル友のお仕事に燃えるサラリーマンさん、あなたの大事な人生を、歴史を塗り返せない日本経済の下にある、フリーじゃない資本主義に呑まれて流されないように、と願いますよ。人間らしく、眠ってください。喜んでやってることなら、別段いいんだけど。

 余計だけど、まるで団塊の世代後に生まれる浦島太郎予備軍みたい。日本自体は激変するだろうし。いずれ、デフレに突っ込むでしょ。

 うちの三歳児には、アジア全体か、専門職か、もっと☆全体の枠を知って活躍してもらいたいなぁ、と勝手に心の奥で未来への不安から思うけど。でも、何にどう関わりたいかは彼の意思があるし、ね。

 正直言うけど、わたしたちの生活の現実を見たこともない、知らない独身男性に「お子さんを大事に、第一に。」なんて、願いを込められて子供云々メールの時候の挨拶みたいに言われるのが、一番イヤ。母子家庭への社交辞令で、決まり文句。

 そんな方に限って、自分がデートを申し込むにあたって、子供を一緒に連れないで欲しい、と言う。

 ひとりの女性としてデートする日もあるわけで、強く優しい母のときも、出来損ないだけど頼られる娘のときも、週末に限らずキャリアウーマンだったりもするわけじゃん。

 人間て、いろんな顔があるでしょ。

 勿論、あなただって誰にも見せない顔があるように。ああやって、突然チャットで弱音を吐き出したり、溜まりかねたエロも抑え切れないように、ね。

 バーチャルプレイを好む方は、しっかり場所も相手を選びましょう。

 正しく求めるところに、物事は正しく与えられる。
 これ、わたし、強く信じる。

 

バランス

2004年6月10日 お仕事
 今日は息子が父と登園したので、今季初、ビヤンキ・オセロで通勤できた。自転車は、心身に爽やかだ。

 しかし、午後から厄介なお客さまがあって、少し腹が立った。「我慢できないなら、無理でしょう。」と、わたしが怒らせた。一人暮らしの73歳の男性だった。

 ちゃんと探したら家にあると思うが、今郵便局に出す必要があるので○○○を再発行してくれ、と来た。出せるわけない。家も極々近いし、まずは、ちゃんと探してくださいよ。郵便局に確認の電話を入れたら、別のものでかまわないという。

 この電話中に、「オレは気が短いんだ。面倒だから帰る。」と、怒った。帰れ。

 ところが、同僚が追いかけて取り成そうとした。イラナイと本人が言うので、取り成す術はなくお帰りになった。だが、また別の同僚が彼の近所に住むため、いろいろお届けるに上がると言うことで、当セクションでの対応は終了した。

 まぁ、いいではないか。みんなでこの持ち場を取り持っている。同僚たちに感謝の気持ちで、明日は喜んでいこう。

 でもね、年を取っても取ったなりに態度と言うものがある。足も記憶も弱って管理もできなくなり、身寄りもなく他人のお世話にならなければいけないのなら、尚更のこと。

 人生が深い秋なら、稲穂のように頭を垂れて、成熟して初めて全体のバランスじゃないか。年を取って、三分も我慢できないのか。それなら若い時分から、人間関係が貧困だったんじゃないか、と想像させた。

 生きる力と、出る癖や硬さは、アンバランスで人を遠ざける。こういう問題は、年齢によらないよね。三歳の息子にも垣間見えるところだ。

 わたしも気をつけよう。

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