一粒の氷が半分溶けて、
水たまりの上を円滑に滑ろうとしている。
わたしの命、残された半分の時間。
ひとつ、ひとつ丁寧に生きていきたい。
笑顔も、会話も、仕事も、出会いも
刻一刻、今日一日、一日と。
社会人になって16年。態度は不良だけど、仕事は真面目に成果を上げてきた。恋も多かった。これから人生後半。このまま夢中で走っていれば、体力を失った50歳の女性になっていくのだろう。プライベートな顔を楽しむソリストと、オフィシャルなマスゲームを進めるリーダーとして、計画を持って心底欲しいものを早めに手に入れていきたい。人生の戦略を練ってみよう。わくわくスルジャン。10年経てば、父が70歳。健康を祈るばかり。
「家」は、子供にとって特に大事だと思う。誰だって経験がある気持ちだろうけれど、家に「帰りたくない。」という気持ちが子供の生活に無理をかける。時間や体力、お金の大きなロスを生み出し、本来、子供が持っている欲求や性質と辻褄が合わなくなって、歪みを生み出すと思う。それで力が伸びるケースも多々あるものの、、、。何かに執拗に打ち込んだり執着する気持ちが純粋な興味が起源なのか、何か大事な欲求の裏返しではないのか、点検されることをオススメする。大人で言うところの、愛情が欲しいのに大酒ばかり喰らったりとか。仕事に情熱を燃やしたいのにパチンコやPCで遊んでしまうとか。電話が欲しいのに、タバコ吸ってばかりとか、ね。本当の原因を知る、ということです。

白黒

2006年3月8日 生きるために
いいとか、悪いとか二極で考え話すのは貧しくないか。白黒つけられない問題だってある。いいとか、悪いとかだけでは思考に伸びがない。世界が狭い。結論を急ぐような態度だけでは、豊かさや奥行きを感じない。生きることは相手のあることで、それだけじゃ語れない。
このパックに入るとは夢にも思わなかった。
一番粒が揃わないところに入ったようだし
あの角のでっかいヤツが伸び伸び肢体を投げ出してっから
こっちはギュウギュウのキツキツってわけだよ、、、。
とかなんとか聞こえそうですが、お互い許し合わないと、ね。
居心地が悪いのは自分の心が縮こまって外ばかり見ているから。外野や過去を基準に、比べる気持ちが不幸の始まり。置かれた状況を受け入れて楽しもう。それが人の素晴らしいところだし。
ところで、このフルーツをネットで紹介販売する愛媛の「蜜柑屋」さんは印刷会社です。
なかなかコンセプトが熱く、お気に入りのショップ。がんばってください!
わたしはお洒落が好きだけど
日々の微妙な違いを息子が見抜くし、
ショップに行ったり雑誌やテレビを見ながら
「かわいい」とか「かわいくない」とか彼と話すのだけど
何か自分のスタイルにこだわって見せるのは大事だと思う。
お洒落や子供に限らず、人々が物事を語る上でのひとつの指標になるわけだし
ミクロ・マクロの感覚の他に自分の心のカラーを生き抜くねっちり長いことが社会の豊かさを生み、自分が生きた歴史をひとに刻んでいく、と考えている。それに、今の時代を生きるに精神衛生上一番健康的で自分の生活の足元がしっかりして来ると思う。
しかし、生理が来ない。検査薬を買うべき、か。
強い自然の中に暮らしていると「共存共生」という受け入れができる。そこで初めて人間の生活は悠々自適、自由になれる気がする。人間はここに暮らして来た。あの山は全てを見て来たはずだ。殺し合うことでも変えるものでもない。愛情も、似ている。日々の受け入れなくして、生きた証になるか。100年後の子供たちの晴れやかな笑顔があろうか。
山ほど校正しなくちゃいけないのに、パワーダウンで日記書いてます。どうした!?わたし!ああ、やらなくちゃなぁ。カメラ持って出かけなくちゃできない。金、土曜日は動かないと、、、。どうして、わたしって、このまんまじゃいけないんだろう?大物になれだの、凄いパワーが出せるだの、正直言って全然フィットしないんだけど、な。ぜんまいが切れそう。12月から、ちょっと一休みしたいぐらい思ってるんだけど。
黎明は、軌道修正したいんです、よ。聞こえた?
そういうわけで、ひとの中には男性面と女性面があり
そのバランスは一重にどういう影響を受けて
成り立っているのか、育った家庭(両親)環境が大きい。
アンバランスはいいとしても、出力が抑制された状態は
非常に不幸で、どれだけ『本来の自分』を表現できているか、が幸福な状態を物語る。さて、どういう環境だったか。
七歳までに愛情をかけてもらえたか、もらえなかったか。
自分がありのままで許されたか、許されなかったか。
確かにわたしは家でも学校でも、そのまんまで許されたし愛された方だと思う。
おかげでアンバランスなのに伸び伸びし過ぎて、誰かが傷ついた音が聞こえない。
午前中から、空に障子でも貼ったような暗さだった。
その破けた穴から雪が落ちていた。落ち続けた。
保育園に通っていた33、4年前の冬
祖父母と工場のストーブの周りで小さな手を温めながら
過ごした空気の色がこうだった。心の中の細やかなひだを刻んだのは、その愛情深い祖父母や両親と過ごした対話で築き上げた価値観で、これが家の流れというか、豊かな「血縁」なのだと自分の文章の根源を振り返ると、この頃確かに思うこと。

巫女

2006年2月10日 生きるために
学問的に歴史を調べるのか、スパッと仕事をやめて
巫女になって調べるのか、(なに!?)
学問的に調べるぐらいならいっそのこと諦めて
大人しく事務仕事だけしてろ、と言われても、、、先生。
巫女になって、、、どうすんだ。わたしが?驚いたな。
ゆうべ歴史のことでお世話になっている87歳の先生に電話。
さっき会いに行ったら、昨夜電話を切ってから
わたしが何を目的にして物事を調べるのか(生きるのか)
頭がもじゃもじゃとして考え込んでしまったのだそうだ。宿題も出たし。
調査を手伝って欲しいのかな。この頃、なんだか雲行きがおかしいぞ。
おかあさん、もう大丈夫ですよ。
気がかりなおとうさんのことも、可愛いくーちゃんのことも、
家のことも、お祖父ちゃんやお祖母ちゃん、
先祖たちのことも調べてわたしがきちんとしますから。
さぁ、安心して。その川を渡って、成仏してください。
凛々と供養をしなければ、いつまでも母は家にいる。
わたしは思い遺すことなく、死にたい。
思い遺すことなく、生きていきたい。
浅瀬を泳ぐ魚と深海を泳ぐ魚は水圧が違う。
筋肉の付き方も違えば、餌だって違ってくる。
鮭のように川から、太平洋を渡って川に戻る魚だっている。
条件が違えば、100匹なりの正しさがあるわけで
ひとつのテーマをとって一緒くたに正しさを語ろうとするのは
知力に欠け愚かではないか。
わたしが愛そうとしているのは、いつも悲しげなキングコングたちで、あなたが愛し合っているのは、精確な言葉を放てる稀な『人間』なのかもしれないから。何を求めて生きるのかが大事。
なかなか大変なことだけど、そのために自分を知らなければいけない。
そして嗅ぎ分ける、その生れ落ちた、かけがえのない命に託されていること。
いつも中途半端じゃないか。病気なの?
中途半端だから、他人のことが気になるんだよ。
それじゃあ、まるで孤独なウルトラマンレオさ。
大事な鍵を盗んでギャアギャアやってみても、毎日の生活は変わらないよ。自分が抱える問題に戻るだけ。自分は自分。他人は他人。自分は自分、それがはじまり。

FIAT

2006年2月1日 生きるために
理論や知識は、人に伝わる温度に欠ける。わたしはFIATに乗ったから、その足の裏に直に伝わるアクセルの楽しさを知る。ボンネットに眠る職人が作ったような、うずまいたエンジンの顔を語ることができる。小気味のいいハンドルの味や人間臭い電気系統の反応を覚えている。これは、カタログを舐めても語れない。ひとに伝えるのに、経験に勝るものはない。
偉い先生の理論は理論でしかない。理屈は現実を掴まない。本ではいけない。
それが現実に活きるのか、活かされる可能性があるのかは条件が複雑に違うわけで
確信が得られないのだから、条件を読んで素材を揃えて実験的なことが必要になる。
手を汚さないで理論や知識を力任せに振り翳す力が人を温めようか。
そんな者が人を束ねようか。答えはNOだ。世界にあなたしかいないとして
たったひとりのあなたなら、どう考える。どう生きる。何をする。何を語る。
驕り高ぶらないで、考えろ。さもなけば、海を求めて歩け。ゼロから火を熾し水を探せ。その二本の足で距離を測り、地図を記せ。二本の手で行った、生活のレシピを遺せ。
父が明日からタイへ飛ぶ。
本当は亡くなった母とふたりきり、
退職記念に行く予定の、カップル節目の旅行だった。
赴任して三年。来月ようやく妹家族がこの地に戻る。
三年前は各国で鳥インフルエンザが初めて発症、
大量のマスクを買い込んで飛び立って行くのを見送った。
母の病気に始まり、離れ離れの三姉妹も色々な感情を味わうことになった。わたしたちは、それぞれにマザコンで、それぞれに母との関係が違った。父や父の友人への接し方もそうだが、妹たちにも母が亡くなった後は、母の振る舞いを真似ている自分に気がつく。「血」とはDNA以外にそうやって流れいくこともあるんだ、と自分の小さな変化を通じて、初めて見知った。
住み心地の悪い水槽のガラスを破ることができない。
時折鼻をこすりつけてガラスの枠の内側に
住み着いていることを見ているのに。
母なる海の匂いを忘れそう。
泳ぐ筋肉が落ちていく。この身が腐って小さくなる。
「時間」に流される。
父があのひとの葬式から帰った。
玄関で香典返しを受け取ってから、
ひとり暗がりで目が熱くなって、胸がザワザワとした。
わたしは仰木監督がとても好きだったけれど
監督が亡くなったことを年が明けてから読んだ新聞で
知ったときは驚いた。あのひとと仰木監督は同じぐらいの年で
態度というか、表情や雰囲気がとてもよく似ている。
まだまだ使命を全うしたい、生きたい気持ちをすっかり被う容赦のない病気。母のこともあって、やりたいことを遺す『癌』特有の故人の無念さを感じた。
どうしてこの人が、と思うような人たちが60代にして命を終える。『癌』である。
府中の祖母が2月で94歳になるのだが、『生命力』なるものの本質を考えている。
四角の枠を正しくなぞる様に真面目だからといって、心身にいいものでもない。
何かに囚われたようになって、身を粉にして我を忘失して自分を縛って苛める。
それぞれの肉体に宿す『生命力』なるものは縦横に表現できるような気がする。
人には自然治癒力があって養生しなければ、高い『薬』をもってしても勝てない。
エネルギーのタイミングのようなこともある。無茶や無理はいけない。
目先のことで大きく動く日本では、点を見つめる生活で変化も激しく難しいけれど
長く生きる強い生命力を考えなければ、この腕に抱く子供たちの未来も見えない。
経験もなく情報もなく、痛みや重みがわからないと
人は自分の中の正しさという切れない包丁で
目の前に下がるこぶを危なっかしく切ってみせる。
正しさを振り翳すことが正しくないということがわからない。
こぶの中に溜まっていたのが黒い血である事も知らずに
ずたずたにして返り血を浴びて真っ黒、頭の先から汚臭が漂い
己が不愉快になった原因すらわからない。楽しくない、楽しめない。
鏡に映る自分が黒く汚れていることも見抜けず、
見えたとしても自分の手による汚れだなどととは露知らず、犯人を捜しに出歩く。
不用意に人を傷つける者は、自分の肌を露わに曝け出して自分を刻みつける力が、
その手に同時にあって働いていることを知らない。
それが稚拙さを物語り、ひとを手放すなどとは夢にも思わない。
高潔なる鏡子であれ。
自信がないのであれば、せめてありのままの自分を映す力のある者であれ。
今は自分ひとりを抱きしめ続ける力を、その手に意識する可愛い人間であれ。

三島 由紀夫 新潮社 1964/10 ¥780

長女

2006年1月22日 生きるために
「おはよう、おかあさん。」と、水を替える。
”おはよう、おねえちゃん。ちょっと悪いんだけど、、、”と
首を長くしてわたしを待っている。母は眠っていない。
今日はどう?”淋しくてもうだめ”
なにか欲しいものある?”戻りたい、みんなと一緒にいたい”
話しかければ、母の声が顔が切なさがすぐに取り戻せる。
母は自分がして欲しいことの半分も口に出しただろうか。
母は自分の欲しかったものの、いくつを手に入れたんだろう。
母は自分がやりたかったことの半分もやれたんだろうか。
もしも母が生きていれば、わたしは車椅子の母を介護する生活に入ったはずだった。
誰かに恋するタイミングなどに体重をかけることもなく、浅くやり過ごしただろう。
子供がいることでも重みが違う。選べる相手も違ってくる。
個人のバランスは、家族をはじめとする関わりを保つ人間関係の如何で
人生の伸びようが大きく変わる。特に、日本の家はそうだと思う。
だから、結果ばかりを指して単純に安直に誰々が悪いなどとは言えないはずだ。
あなたやあのひとが何に耐え、何に応えているのかもわからないのだから。
家族を失うのは悲しいことだ。もっともっと生きているうちに話を聞いてあげたかった。
小さな願いを叶えてあげたかった。だから、生きてる父をみつめよう。
彼との距離を賢く保とう。いつでもわたしに小さなお願いが口に出せるように。
少しでも心地よい毎日を刻むように。同じような悲しみには落ちないように。

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