わたしは生きている。
半分死んでいるように、生きている。

片思いが完璧過ぎて
不完全だって知っているのに
ぐんと引っ込めなくて

こんな風にしかできないって
これがわたしだって、諦めたら
年老いたロバが、ベッドに横たわっているようだった。

だめだ、だめだ。
じゃあやっぱり、ありったけの自分の思いと叶えられる道を諦めない。
ああ。いつまでこうして、彼方に広がる夢に手を伸ばしてんだろう。
もう、やらなくちゃいけないことが山ほど決まっているのに。
神社で、おみくじを引いた。

あなたの性格は、明朗で親切であり
悪く言えば、お人よしでもありますので
広く社会を観察し、洞察力を養い
人の心を見抜くように努力しなければいけません。

地位と勢力に憧れる傾向にありますが
あなたの思考力により、十二分に検討し
地道な努力をすれば、希望が開運されます。

想像力に長じておりますので
企業性に富み、活動的ですが
『忍耐力』が欠けていますので
事を成すときに落ち度がないように注意しなければなりません。

勝利は忍耐する人のものである  Byナポレオン
忍耐は運命の主人  Byカムベル

修養により、忍耐力を得れば
鋭い頭脳と思索により、自分の目的を最良のペースで進めて行きます。
また、冒険的な方面でも成功します。
温かい愛情の持ち主ゆえ、異性の交友を好み
平均のとれた相手なれば、調和のとれた恋人となり伴侶が得られます。

以上、自分の長所を生かし欠点を是正すれば
壮年期までには幸福の彼岸に辿りつくことが出来ます。

他人の癖は嫌っていながら
自分の癖には気づいていない

どうして当たっているんだ、と思う。
忍耐ねぇ、、、相手と物事に拠るなぁ。
日々、需要に応え続けているので、
忍耐という試練が実感できないけども公私の区別ない活動
光を信じて先の見えないトンネルを掘り続けるスタイルは、もはや趣味の域。
死んでいつか消え去ることを考えると
自分の作業はおおかた息子や子孫の記憶を縫っているような気になるんだけど
先生のようにいるだけで人を勇気付ける、愛情豊かで強い年寄りになりたい。以上。
捨てたい捨てたい捨てたい
ぜーんぶ捨てたい
なんで捨てれないんだろう?
その可能性って、ほんとにあり得る?
なんで捨てれない?
お勉強する時間作れるの?

いっぺん、ぜーんぶゴミ箱に入れてみようかな。
3日寝せて、拾うリストで拾い上げる。
やれるか、おまえ。やい、おまえオツム弱虫。

NOSTALGIC

2007年11月1日 生きるために
慈しみ愛しんだもの、ひと。
失えばすべては
記憶のひと、記憶のもの
記憶のかけらばかり。
あの居心地も匂いも手からの伝わる愛情も
いま手に取れるものは何一つない。
交わった思い紡いだもの、すべては失うばかり。
わたしは記憶を紡ぐひと。

錆び味

2007年10月7日 生きるために
一年我慢したがお花の先生、変える。
今月こそ、ケリをつけようと思う。

習い事は花を活ける技術ばかりでなく
態度、生き方、人間性みたいなものも含めて
師と仰ぎたいわけで
それが他の師匠の悪口や人と起こす口論ばかり、べらべら喋る。知性、疑う。
思いやりが欠けて、やめていったお弟子の数知れず
まったく自分自身の反省はない。だめだ、あれじゃあ、、、。
60歳にして、しがらみ抜ける飛翔の歳とは思えない。
悪いものをいっぱい集めてくる。
ったく、情けない。ちっとはぁ、勉強しろいぃ!
刻む花の顔は見えても、他人に見える自分の顔が見えていないんだから。
見ようともしないんだから、気が合わない。
また、中国へ発つ前には
東京郊外にある特老ホームにいる祖母に会いに行った。
「ああ、身内。うん、そう。東北の、、、。」
と、姿を見るなり口に出たものの
それから、わたしの名前が出たのは2時間後で
帰る寸前に、ようやく「ああ、思い出した。」と笑った。
あれだけ可愛がってくれた曾孫の名前はもう出てこない。
6月に比べたら、ずっと痩せて目も顔つきも変わっていた。

「また来るねぇ。」と、いつものように祖母を抱きしめると
顔を押し付けて「もう、会えないかもしれない。」と涙ぐみ
わたしの胸の中で何度も涙を拭うように額を振っていた。
1分ぐらい経っただろうか、祖母の気が済み手を離すまでそうしていた。
繰り返される、お決まりのサヨナラのシーン。
毎度、叔母がもらい泣きする。
死んだ母は64歳のまま、叔母はもう70歳を過ぎた。

車椅子に座り、痩せこけて『死』を見つめている。
その四肢は会うたびに、どんどんと小さく細くなっている。
95年の時に晒され枯れてつつもなお、相変わらず祖母は美しい。

彼女の家に連れて帰り、そばにいて時間を刻みたかった。
思うようにさせてあげたかった。

ワハハ

2007年9月22日 生きるために
ただいま。
ゆうべ自宅に戻った。
帰宅しても、ずっと、喉が渇いていた。

北京で飲んだミネラルウォーターは
もっぱら赤いワハハ、青い燕京で
どちらもまずく、きれいに見える水道水、、という印象。
だいたい、あんなに広く土臭く水が澱んでいて
少しビル街を離れたらトイレが原始的な生活レベルじゃあ
そこまでやれないだろう、おまえ〜!と思う。
誰でも、想像つく。
民衆の下痢と熱は果てしなく続いた。

芝居の手伝いで行ったので
帰国前日にいただいた観光の時間は5〜6時間。遠い万里の長城は諦めた。
天安門や秀水には身体中に瘤が回った
重い病気の子供や火傷で皮膚が爛れた子供
汚い格好をした子供たちを
外国からの観光客に晒して、お金をもらう輩がいた。

このカーチャン、家に帰ると一体どんなだか、
これだけ外で「悲劇の母」を演じ続けたら、疲れて相当ドライだろうなぁ。

そう思っていたら、子供が走って来て
「オレにその水をくれよ!」と手を掴まれた。
「不行、やんない。」
パリでもフィレンツェでもジプシーの子は同じだった。
頼まれても拝まれても恵んだりできない。

秀水街の接客は最悪。うるさい。面倒臭い。可愛くない。
どう見たって200円のものを3000円で吹っかけてくる。
ホテル近くの庶民的なスーパ−のほうが、ずっと良かったし
郊外の田舎の店の方が人間も擦れてないばかりか
ビール2.5元(43円)→1.25元(22円)
北京中心街の半額という破格だった。
ホテル近くにあった屋台街の焼き鳥、イカ焼きは1元〜2元。
これは、いろいろと食べてみて美味しかった。

2008北京オリンピックを控え、国際センターやら何やら
空いている場所に慌てて慌てて象徴的な高層ビルを建築中。
道路も拡張、工事中。
街々の顔々を造っていたが、どうも危なっかしい。

NYやTYOにならなくてもいいじゃないか、北京。
建築、食品でも何でも、とにかく、たくさんの人命を失うことのないように頼む。

芝居で出逢った日本と外国の人たちと、
住民票ももらえないという
北京郊外の工場街に住む人々の生活と表情を見て思ったこと、、、。
わたしは今まで高価な洋服、鞄、靴を買い漁って来た。
どれだけの本が買えたんだろう、その時間とエネルギーでもっと勉強できたはず。
そう、、、自分の中身を本格的に磨きたい。脳に深い皺を刻みつけるように。

気になっていた「そこ」のボリュームが回ったことを帰宅して実感している。

YUMING

2007年8月28日 生きるために
晩夏、ひとりの季節。
つかず離れず共に生きる、っていう感じがいいの。
仲間も恋人も家族も。
、、、ちょっと、悪戯しちゃおうーっと。
ただ単に都会に出れば雑踏に埋もれ
平凡を生きることになってしまうだろう。
田舎に根を張って構えれば
いつかはあの、蜘蛛の巣の張った
山の奥の火葬場で焼かれる日を迎える。
能力を信頼され、
大きな活躍を期待され、外へ外へ育って来たし
バランスを取るチャンスを失い続けただけ。
だから、、、誰に罪があるといの、いったい誰に。
天涯孤独で周りに誰もいなかったら、どうだった?
たとえ才能があっても
無人島で魚を釣って昼寝をして星を数えたよ。
来る日も、来る日も。

1+1=∞

2007年8月15日 生きるために
いつまで自由に憧れ続けるんだろう
いつまで素直に頑張れないんだろう
思うとおり頑張れないための理由付けは
和泉のように湧き出でて
生きることの左右まで責任転嫁
置かれた環境でやれることをやれ
飛ぼう飛ぼう飛ぼう、と真面目に考えて行動していたら
必ず飛べる        はず 経験上
ただの愚痴だ。
長い愚痴が続いている。
わたしの悪い癖だ。
君らしくない、あなたらしくない、って言われても
強烈な嘘つきの、文書ひとつまともに作成できない上司と生きる大変なパワハラの日々、、、。
ああ、試練だ。
いまは忍耐だ。
自身の鍛錬だ。
今も自分を磨くとき、、、よし!愚痴はやめよう。、、、ってガスがたまらないか?
この頃、伝統的工芸品に目がない。
時間を踏む日本の職人による手仕事、技の結集。
素材はいいのでデザインを少し変えたら
売れそうだと思うものも多い。
手仕事が割に合わないため世代交代がうまくいかず、
また、もともとの素材を失い絶えていくものもある。
百円、千円高くても日本の良い物を使いましょう。

百歳王

2007年8月9日 生きるために
一日を長く生きるべし。
一生かけて主張するべし。
夕食を食べて午後7時、
欠伸と共に強烈な睡魔が現れベッドに落ちた。
「おかあさーん、アイス食べたーい!」
と息子の声に起こされ時計を見ると
8時までの1時間、昏々と眠っていたらしかった。

何だかよく見えない、、、目に違和感があった。
ああ、コンタクトを外さなかったから、と鏡を見てびっくり。
目の周りと白目がゼリー状に腫れ上がって黒目が凹んでいた。
慌ててアイスノンで冷やしながらネットで検索したところ
アレルギー性の高い結膜浮腫とあった。
専門誌や専門医が開くインターネット情報は本当に便利だ。
どの記事を読んでも、さほど悪性の原因は感じられなかったので安心した。
この頃また時折強く感じ始めた眩暈や、脳の何かからだったらどうしようか、と思った。

ああ、それにしても、、、、、
その後、お風呂でシャワーから飛び散る水を見つめて考えた。

わたしは死んで人の記憶に一瞬止まりて、
そして三世代の先には砂粒が嵐にさらわれて宇宙に飛ぶように消えるのみ。
こんなに世俗のイチイチにこだわって今を生きることが何だというんだろう。
わたしの中に自殺という言葉はなく、重病の末期であっても命を全うして終焉だ。

お風呂を上がって、家の中や自分の周りを見渡してみた。
愛着あるものがどれだけある?
これが美しい生き方か?

暮らしは記憶という長い歴史だと思った。
ほとんどの家庭が戦後、高度経済成長、バブルを経験した家と生活を伝えている。
ああ、生活を一新リスタートしたい。

さっき、わたしは死んだ。そして、まだ生きている。
目覚めたとき、腹痛は嘘のように消えていた。
ベッドからそっと起きて歩き出したら
床がきしむようにお腹の痛んだ所がきしんだが
痛みにはつながらなかった。
オフィスのデスクに座ったときも
きしんだだけで、痛みまでいかなかった。
腹巻の神さま、ありがとうございます。
今日もこれは幸せな日々に在るのだと、
しみじみワタクシ思った次第です。
今月もまた生理が遅れ、辛い。重い。
頭痛、腰痛、腹痛、おっぱい痛の四拍子に加え
だるくてすこぶる眠い。それでも、仕事に研修。
女性は機嫌が悪いんじゃなくて、具合が悪いんです。
気分屋なんじゃなくて、月の満ち欠けと同じなんです。

二十代の未来予想図では
夫婦合わせてそこそこの経済力と共に
五人は欲しい、と思ったものだけど。
最近しみじみ思うけど
子供を産み育て、家庭を切り盛りする一生の「性」って
本当に美しく素晴らしい。キャリアよりも、ずっと尊い。
ああ、子供をもっと産めればよかったのだけど39歳。
後もなし、再婚予定もなし、、、あれ。
のぉーッ!また思われニキビだぁ、、、。

海の日

2007年7月16日 生きるために
月曜日午前10時、
息子と算数をしていたら
地鳴りと共に家が揺れた。揺れ続けた。

太陽と地球の関係が狂いもせず
地球は休まず公転と自転を続け
この世に生まれ40年、呼吸を続け
いま我が子の笑顔を毎日見れること
それだけでミラクル、奇跡だと思った。

森霊

2007年7月13日 生きるために
雨が降っていた。
濡れた木々の葉が強めの風に揺れ
枝がしなる度に暗く光った。
雨雲で世界は朝から薄暗く、
世の中の汚れを落とすかのように
地面に落ちる。
自然と生きていることを感じる日。

文句なしに明るく眩しい美しさでは見えない
雨の日の一筋の美しさ、温かさ、一粒の真実に惹かれて外に出た。

人間もそうだと思う。
耐えて長く道にとどまるから、わかることがある。
たくさんの荷物を持って歩き続けるから、ひとの心身の痛みが愛しくなる。
自分の二本足で歩いて欲しいからこそ、個々のけじめを考えながら愛情を注ぐ。

のしかかる重みがわかって初めて、軽さを喜べる。
暗闇を歩き続けて初めて光に憧れ、眩しさに心奪われる。

だから、雨に濡れることを恐れず。
傷ついても何かを払っても、自分の声のとおり求めていく。
たとえ怪我をしても、手の中にはリアルな重さと胸にはリアルな痛みという
考えることに必要な経験が残る。痛みという財産を得ながら進んで欲しい。
傷つくことを恐れず。

数秒歩き出したら、後ろから水色の傘に包まれた。
心を開いて歩いていかないと出逢いは実らず、
出逢いは可能性という卵のまま
発掘されることのない化石になって過去に積もりゆく、人類に何万件何万年と。
↓めっさ自然で、いい顔してる。
http://mdn.mainichi-msn.co.jp/photospecials/graph/070711ichiro/1.html

MVP獲得の快挙とはいえ、
ガチガチだったイチローが
こんなに自然に振る舞い、気持ち良く笑うようになってる。
日本にいたら仮面はどんどん厚くなっていただろうに。
大抵の人にはチャンスと実力と場所が整わないが
「人」にはいるべき「場所」、バランスが取れて
もっとも輝ける可能性ある所があるのかもしれない。

「もうイイ年だから」だなんて理由をつけず努力を続け、死ぬまで求めていきたいもの。

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