突然、NY社長に変化が起きた。
才能があるだけ、怖いもの知らずの向こう見ず。
若さも手伝い、不安定さを消すように強く烈しい。
その彼がバランスを執ろうとしていた。
「自覚したんだ。一瞬のことだったよ。」
土の中に埋まる種から伸びる芽の動きは、
目には見えない。ひとは無数の種を、胸に温め歩き続ける。
肉体は衰えても、やわらかい土壌を持ち続けていられるのなら
死ぬ間際まで真実は芽吹いていくのかもしれない。次々と。音もなく。
家族をはじめ、ひとを元気づける健全な愛情がある。
状況に応じて繰り出される言葉は変わっても
ひとを温める、長く安定した心の態度。
お金で買えないもの。誰彼に与えられないもの。
誰彼の反応のいい標準的なセンスでは、不可能なこと。
何度問いただしても確信する、しなやかなもの。
もっとも、人間に生まれた落ちた価値を感じる楽しい部分。
そして、あの祖母のように
人生や人格も含めどこもかしこも
骨が浮き彫りになっていくみたいに
きれいに枯れていけたらいいな、と思う。
たとえば、
あの樹が生えた場所のように運が良くなくても
陽当りが悪く、むやみに枝を落とされ傷ついても
可能な限り、強く美しく年を重ねたい。
ぐんぐん天に伸びるほか、術を知らない
あの大樹が堂々と漏らす、無骨な生命力のように。
英語云々より国境を越え、ひとをスッとつなぐ音楽。
一緒にやれるスポーツ、黒ビールを飲んでハイテンション
肩を組んで一晩笑い明かしてもそうだった。
ドイツ語が話せなくても、日本語を話さなくても
ココロが通じ合うのは流れるものがあるから。感じるから。
そこが、人間関係のポイント。
流れが止まって訪れる危機は、いつだってやって来る。
ひとが演奏する楽器が楽しい。媒体。それは、とても美しい。
「逸品」と謳われる、この世の手仕事に惚れ続ける。
結局わたしは人が大好きなんだなぁ、と思う瞬間。

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すべては知れば知るほど、欲しくなる。
生きて自分を知るほどに、それは変わり
自分の生き方にあったものを望む。
身の程を考えない、知らないのは大変なこと。
自分の能力や立場がどうで、周りにどう必要とされてるか
ふだん守るべきものは何か、誰か、
進むべき方向を見ているのか、たまたま命が今あるだけなのに
わたしわたし、おれおれなんて何人と何年生きて来たのよ。
まさか、ひとの心は読めないし、わたしたちは万能じゃない。
転びようがなく進めた道に立つ幸せなひと、包み守られたひとは痛みを知らない。
相手を見ない呑気な態度が持つ口は、放つ「言葉」を誤る。
たとえ一理あっても、無駄にひとを傷つけてどうする。
相手は一理以上に、痛みを覚えただけ。
病院で明け方、「あぁー、助けてぇー!」と
母が大きな声で叫んだので看護婦を慌てて呼んだ、と
隣のベッドに眠っている老女が小さな目を
パチパチさせて、わたしに囁いた。

me「あらら、叫んじゃったの?また雪の夢?」
mum「あなたと待ち合わせしたのに、はぐれてひとりぼっちになっちゃたの。
吹雪で何度も転んで怖かった、、、。」と、照れた。

病院では二度目らしかった。
一度目は大雪の中、点滴を引きずって街中ひとり転びながら歩いていた。
歩けど歩けど同じ小路が続き、家に辿りつけず助けを呼んだらしい。

55歳を過ぎたあたりから頻繁に始まったこの「叫ぶ声」は
ダブルベッドに一緒に眠る父は勿論、家族はみな知っている。
がんばり屋なのに体力がなく、虚弱体質の母が加齢と共に叫び出した。
九州で生まれ東京で育ち、銀座を闊歩するOLだった母が「嫁」として
初めて東北に足を踏み入れたのは、わたしが生まれる臨月の真冬だった。
閉ざされた雪国。地味な生活に乗る「重い雪」に、彼女は唖然とした。
また、慣れない雪の上を上手く歩けず大きなお腹で何度も転んだ。

雪が大嫌いな母。
夢で、雪に捕らえられて恐怖する母。
可能な限り「無心」で日常に向かいたいな、とわたしは思う。
ひとは嫌いなものに、嫌うものに
本当は、すっかり心を捉えられていつも生きている。
ひょっとしたら、愛することより執着心が強く高いエネルギーを使いながら。
それでも、しっかり抱えて生きていくんだろう、と思った。
ゆうべ、突然電話が鳴り
今日の昼、急に母が退院して来た。
病院食をずっと嫌がっていたから、
手料理をずっと食べさせてあげたかった。
栄養を考えた昼食夕食を出すと、
「わぁ、カラダにいいものばかり。」と、喜んで完食。
2005年は、料理の腕をあげる年だったのかな。
よし、美味しくて温かい「ごはん」を極めよう。後悔したくない。
いまは家族と家事を優先する。という訳で、本日は午前と午後の二時間づつ。
今日から仕事は、楽しい息抜きの時間にシフトチェーンジ。

VOLVO

2005年4月16日 生きるために
何も臆することはない。
ガウディやダヴィンチじゃないけれど
長くひとに触れて、ひとの中に流れて
初めて真価を認められる、というもの。
保守的な日本なら、NOと言えない日本人なら
なおさらの話。たとえ孤独を感じても、
最低限の味方はひとりいる。そう。自分を信じる自分から、始まる。
子供の頃、母はわたしの髪をかき上げ
小さなおでこを撫でて抱き寄せていた。
母の愛情をまっすぐ感じる瞬間だった。
いま、息子が怪我をしたり
お腹が痛い、と言えば
母が昔どうしてくれたか、を懸命に
自分の記憶の奥の引き出しを開けて
そこにあった感触や声音や匂いまで、再現している自分に気づくことがある。
だから、息子がスクスク育てば、いつか
son「歯はジャスコで買えないんだぞ。」とか似たようなことを言いながら
父になって我が子の歯磨きを手伝うかも、と手から手へ、口から口へ
子育てが祖先や他人から流れて来て、後へ流れていくことを考える。
戦争は、そういう意味でも流れを絶つ。
子育ての手数口数も減らし、国や民族の血を荒らす。
そう思うのは、不器用な父の生まれが昭和20年の秋だったから。
少なからず。家族も仕事も人間関係で
勿論、十人十色の性格も生活も多々ある中で
小さい頃からの環境も手伝い
それぞれ何かを長く抱えて生きていれば
問題は起きる。口論もある。時に、すれ違う。
それを口外するにもコツがあって
自営業がお客さまにレジでペラペラ喋るのでは、
いくらそれが正論でも、この人はアホに見えるし、老舗の嫁には向いていない。
気持ちはじゅうぶんわかるが、自分の生活が半永久的に抜け出せないそこにあって
それを含めた家や仕事を守る、ってことがないと。いつまで経っても、戦国時代。
生涯自分しか生きれない。たぶん、自分さえも生きれない。
部下や家族が育つなんてことは、あり得ないし
まぁ、自分の精神が脈々と伝わるなんてないだろう。
ゆうべのラストサムライ、おもしろかった。

こころ

2005年4月5日 生きるために
すぐ感情的になるのは、なんでだろう。
その状況をお伺いしたい。
居合わせる大多数に不利益で、もったいない。
余裕がなければ、頭も気持ちも回らない。
同じ負荷でも、カラダだって重たくなる。
わたしは冷静さを欠いて感情的になったり、
追われて釣られてバカみたいに走れない。
振り回されるのも、相手を振り回すのもイヤだし
小さい頃から、そういう人が信用ならない。
依存し合う日本文化の家庭環境が精神や和を重んじ
「引く」ことが美しさ、だなんて神話のように
現実の社会でも尊ばれるわけだけど
わかりにくいし、何が欲しいのか全然わからない。
ならば、自己点検。車検のようにこころのメンテナンスをすべきだよ。
長く同じ状況や立場に埋もれているから、偏りが生まれるんじゃないか。

High Time

2005年4月3日 生きるために
この世でもっとも醜いことは、
ひとがひとをおとしめること。手にかけ、あやめること。
それを思い描き、もがく時間。
現在も過去も、そのココロだと思った。
空を見上げれば、雲が流れ陽が傾く。
足はひからびた虫や小石を踏み、
地面に這う根が押し出した小さな緑を見つける。
ひとばかり見ているから、溺れる。お金ばかり見ているから、不相応に欲張る。
あの日、浜に打ち上げられたくじらは荒い呼吸を続け
生きていた。カラダを撫でたら、濡れたゴムのようだった。
死を待つ彼女と目が合った途端、急に涙がこみ上げ
胸が詰まった。その場から走り出して、転びそうになった。
大学の有名な先生が言うには、珍しい種類だった為に、
死んでから、その場で解体され博物館に運ばれていった。
山を買えたら、山の中に大きなくじらとイルカとゾウを彫り続けたい。やさしい顔とカラダをしていた、彼女の墓石を刻むように。
クローンが進んで、間違っても「ひと」の剥製を作らないように。
等しい価値で、共に生きていることを忘れないように。

LOST MAN

2005年3月30日 生きるために
ひとりで抱え込まない。
重くなった鞄の中身は、どんどん口に出して
相手の意見に思い切り流されよう。
いやなことなら、カラダに悪いからやめちゃって
自分の性格に合った負荷のカタチに変える。
この島からしばらく出ていってください。
いろんなものを取り戻したら、OKを出しますから、と
猫や雀や熊、鮭や岩魚がはちまきをして大運動。
日本人がひとり残らず列島から出国し
仮に10年経って、どんな豊かさが戻り
どうスタートできるんだろう。
留守の間の原子力発電を、猿がチェックできるわけがなく
「高断熱高気密!オール電化住宅!」に憧れながらも
その投資の結末を考える。人は共に生きることを、忘れられない。
人事の発表は、希望通りだったのだが
出張やイベントが多いところに動いた。
誰かに息子を預かっていただかないと
とてもこなせない。課長が告げたときから
そのことばかりを一日考え続けた。
母を見舞ったら、38度の発熱でふさぎ込んでいた。
病気と共生する母がこれから住むのに、新しい家が欲しいと彼女は言う。
今夜も妹たちと夕食を食べ、高速道路で家に帰った。
夢を追う気持ちは毎晩「起業」を追う。
どう転んでも生きている限り、トライできる。気持ちが起つ。
それが、人生の中で本当に楽しいこと。
天然なのか、恐れることを覚えられない。
お金に縛られるなら、マイホームより
夢を追ってる方がいいな、と思う。
北海道から送られて来た豆を煮た。
煮すぎて皮が破けると、どろどろになる。
最後は、弱火でそろそろそろそろと
気をつけて仕上げたら、きれいにできた。
それから、水羊羹を作った。
「沖縄の黒砂糖」という名で売られていたものを使った。
黒砂糖は、甘くてもイヤにならない。今度はもっと入れてみよう。
物事は、無理なく上手くいくように進めれば上手くいくし
状況や体力を読めば、選ぶ道は数少ない。
おのずと話し方も決まるし、間違いようがないのかもしれない。
反っていれば、こじれ続ける。
覆水盆に返らず、同じ人間同士が積み重なりようもない。
わたしは長くキューを握り締めている。手が痛い。
どの玉を突こうか、ラインを読み?を睨んでいる。
力が抜けボリュームが下がり、ひとつの声が聞こえるまで
このまま進むしかない。

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