いま、父とわたしが作ったルールに
死んだ母が生き返って、一緒に暮らしても
家事を奪われた母は、他人の家事ぶりを許さず
重い病気のくせに、不満不安心配に駆られ
また病気を繰り返し、そんな折合いの悪さに
わたしも中途半端な場所で、また苦しみ続けると思う。
一緒に暮らさないのが良かったのか。
わたしは母に甘えていた。
母に甘え、仕事に夢中になった。
彼女の子供のままだった。
母が亡くなって二年半、ずっと、母の死、死に纏わる気持ちが飲み込めなかった。
死に追い込まれてなお「病院食がまずい」と言い、箸をつけず食べない。
その偏食ぶりに厭きれながら、生に対する執着、強い淋しさ、状況に耐え切れず
死に急ぐ刹那で性急で自虐的な様子に『仮にすがる道があっても留められない。』
そう思ったし、そのことは亡くなって、なお母を思うときの心の中に大きく遺り、
どうにもこうにも、右にも左にも寄せられなかった。
ぎりぎりまで、その母に甘えていた。甘えられたじゃないか。
いい加減、すっかり母に感謝し成仏してもらおう。
わたしがスッキリやらないから、いつまでも家の中にいる。
おかあさん、ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。
死んだ母が生き返って、一緒に暮らしても
家事を奪われた母は、他人の家事ぶりを許さず
重い病気のくせに、不満不安心配に駆られ
また病気を繰り返し、そんな折合いの悪さに
わたしも中途半端な場所で、また苦しみ続けると思う。
一緒に暮らさないのが良かったのか。
わたしは母に甘えていた。
母に甘え、仕事に夢中になった。
彼女の子供のままだった。
母が亡くなって二年半、ずっと、母の死、死に纏わる気持ちが飲み込めなかった。
死に追い込まれてなお「病院食がまずい」と言い、箸をつけず食べない。
その偏食ぶりに厭きれながら、生に対する執着、強い淋しさ、状況に耐え切れず
死に急ぐ刹那で性急で自虐的な様子に『仮にすがる道があっても留められない。』
そう思ったし、そのことは亡くなって、なお母を思うときの心の中に大きく遺り、
どうにもこうにも、右にも左にも寄せられなかった。
ぎりぎりまで、その母に甘えていた。甘えられたじゃないか。
いい加減、すっかり母に感謝し成仏してもらおう。
わたしがスッキリやらないから、いつまでも家の中にいる。
おかあさん、ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。
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