心温計

2006年7月29日 生きるために
昨日、お昼を知らせる鐘と同時に携帯が鳴った。
『38度です。お迎えに来てください。』
ああ、やっぱり。保育園の担任からだった。
朝起きると、
son『おかあさん、ズル休みしようよ。行きたくない。』と、ベッドの中で珍しく息子が愚図った。
me『う〜ん、今日はね、仕事があるのよ。』
son『どうしても、行きたくない。お昼寝の前に、遊べないのも不満なんだよ。この間今度ズル休みしようか?って言ったの、僕は覚えているんだからぁぁぁ、、、ぁー!』
終いに泣き出した。あらあら、ずいぶん激しい。何だかおかしい。そのときは熱がなかった。珍しいな、彼の精神衛生上休ませようか、と迷いながら送り出していた。

そう、体調が悪かったの。

急遽、お休みを出し大雨の中お迎えに走ると、
保育園の玄関でニコニコ笑う彼が座って待っていて拍子抜けした。
農家に頼んでいたカブトムシが『採れましたよ。』と、電話も入ったので
その足で一緒にもらいに伺った。
お願いが叶うまで時間がかかったこともあり、息子の喜び様といったら凄い。
さて、それはさておき。

わたしは幼児期に、ずいぶん自由に休んだ。
母は怒ったが、祖父母がどんな小さな気持ちも聞いてくれたし
聞いてもらえるから、自分の気持ちをすぐ言葉にして訴え、
それが子供の感じる気持ちで多少曲がっていることでも、咎められなかった。

話せることが大事で、それは聞いてくれる可能性があること。
特に、判断力が備っていない高校生ぐらい迄は、そうだと思う。
小さな子供だって、はなから無理な人、何ら可能性のない人には話さない。
大きくなるにつれ、感情露わにストレートに反応する両親には、
本当に話したいことを隠し、話す内容をきっちり選ぶようになる。
わたしは周りに話せる人や庇ってくれる大人が数人いたおかげで、
精神的に健康に暮らして来た。

最近、家族で傷つけ合う事件を筆頭に殺傷事件が多い。

人間の心の温度計は見えないけれど、まずは一緒に暮らす家族の手の中にある。
それは普段の関係がなければ、跡形もなく消えてしまうもの。
だから、あまり真っ向からストレート過ぎてはいけない。
ストッパーが現れなければ、どんどん、どんどん外に求めるようになる。
それがダメなら自室に閉じ篭って、自分で解消しようと抱き込み続ける。
ゲームは気を紛らわせてくれても、子供の相談には乗ってはくれない。
親も子もひどい悲鳴を聞く前に、
素直に本当の気持ちを打ち明けれる人、時に甘えられる関係や時間を持てれば、と
昨日カブトムシを乗せた帰り道、雨を拭く車のワイパーの動きを追いながら、
息子と交わした今朝のやり取りを思い起こした。

コメント