先日の教員が刺殺された事件で
「やっぱりな。」などと、妙に納得したものが傍にいたが
きっと、彼も殺意を抱いたことがあったんだろう。
自分の人生の如何を他人のせいにしてんじゃないよ、と
この口が反応した。彼らは「大人」「先生」「親」だのと急に呼ばれても、ふつうのできない部分を持つ人間か、どんな家庭で育ったか知れない不器用な人間、世界の中心ではない。

どうしようもないと思える先生や親、子供を恨んで責め傷つけても、
意地汚いように見える友達や同僚を恨んで責め、自分の方が真っ黒になっても、
不用意に発せられた言葉を安く買っても、「幸せな日々」は多くならない。
やって来ても、またすぐ逃げられる。
そんなことを深く掘って考えている時間は、もったいない。
悪い癖は、どぶに潔く捨てよう。

生きていて「不幸感」を覚えても、自分を責めてはいけない。
小さな島にひとり生きてるわけじゃなし、
そうであっても、雨も降れば雷も落ちる。風邪も引く。あなたのせいじゃない。
それが選べない不完全な人間ばかりの五目御飯の「お釜」に入れば、
いろんなことが起きて当たり前。
時に死んだふり、自由自在に宇宙を飛び上手にサーフィンするほかない。
手に負えず逃げたかったら、逃げるべし。
ひとりでは収束しない「雑音」ならば、全開するべし。
必要があればリングに誘い上がり、ファイトするべし。
ただ一方的に「外」に原因を探して結論付けるのは、
一個人として安直過ぎやしないか。
親の真似、ひと真似はいい部分だけにしたいもの。

ひとつ、自分の中に「井戸」か「トンネル」を持ったらどうだろう。
いまは悩んだら掘ってみる。慣れたら悩まない日々も掘り続ける。
少し辛抱しながら、命あるいつか、あたたかい光に包まれるまで。
湧き出す清水を味わう日に、我慢強さも楽しめる自分に出会うかもしれない。
心から幸せを求めるなら、そのくらいの力はいると思うんだけど。
その毎日は基本的に、あなたが世界の中心なんだから。

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