人は人をトコトン責める。
責める気持ちの長さと大きさに驚く。
いかにも高い棚に上がって、
次から次へと矢継ぎ早に責めまくり
あっ!という間に相手を北極まで
追い詰めて取り返しがつかない。
そこから、ささくれたペンギンは南極へどう戻るんだろう?
追い詰めたシャチは、どうやって連れ戻す気だろう?
言葉は、飛行機や船よりも早くて確実な場合もある。
だけど、状況や相手を見ずに吐いたら、
お互い、そこからの帰り道に人生の半分近くを使い果たすんじゃないか、、、と思う。

その点、「自分がどう生きるか」に目が向いてるひとはスッキリしていて会話が進む。
生産的な時間になる。

わたしなどは、自分や相手のそのままの歩き方に肯定的過ぎて
たとえ細木数子さんが「そのままじゃ、あんた地獄に落ちるわよ。」と言ったとしても
「落ちるわけがない。」と、即座に言い返しそうだという自他共に認める結論に至り
自分を信じる者は会っても意味ないねぇ、という話になった。

この頃「汚い言葉を吐くひとは嫌だなぁ。」と、しみじみ思う。
それか生まれつきこの頭に糸が足りないためなのか、理解できない。わかりたくない。
想像すらできない。
常識や感性のベクトルが違い過ぎて、会話が埋まらない場合は
本当に育ちの違いだけなんだろうか。

「のびのび育ち過ぎてたもんね。」と、堂々としてしまい
「いつも、イイコぶってさぁ。」と、正義を語ってしまい
物事は紙一重、ストレスを与えたり奪ったりしてるが
生きる態度は選びたい。

「受け止めて愛せるか、人のせいにして責め続けるか、最悪は無関心になるのか」
Prince

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