フランスから戻ったら

今の息子の環境について真剣に、ぎゅううう、と考えた。

まずは、保育園で一番気になっていたこと。

食事で勝ったとか、今日は負けたとか

誰が一番早く食べ終えたか、の報告が続いていた。

それをフランスで聞いたら、やっぱり決定的に変だった。

日本野球や応援も

大リーグと比べたら

ベースボール文化を味わうより、「戦いくさ」って感じ。

日本は求め方が性急で、短い。

食事の時間にしても質というか、豊かさを求めたい。

よく味わって噛んで食べたとか

素材がどうで美味しいとか、

長さや深さを感じたい。

それから。

うちの子は、わたしが近くにいなくても泣いたりはしない。

しかし、とにかく四六時中ベラベラとやかましくて

フランスのパパたちに叱られた。


今まで一緒に大きなベッドに眠っていたけど

息子の世界が持てるように

彼個人の自由のために

ひとり部屋があるほうがいい、と強く思い始めた。


日本では親子の間も、妙に近い。

生まれたときから一緒に眠る。

相互に依存し合う関係が、長く築かれていくように思う。

誰しも「親」になるための学校には行かない。

でも、「親」になった途端に

個人がむしり取られて

彼や彼女のためのパーソナルスペースや時間は失われてしまう。

良い面もあるのかもしれないが、わたしにはわからない。


また、子供の身の回りのことを何でもしてあげるのは、どうか、と思う。

過保護で干渉されて育つから

お互いのラインが見えない。できない。わからない。

成人してさえも自己責任が持てず、

親が悪いの、祖父母が悪いの、と問題が起こり

せっかく、面倒を見てきたのに、と

子供が悪いの、孫が悪いの、とニュースになるような

事件まで発展してしまうのではないか、と今は感じている。

 わたしは六歳で自分のベッドルームをもらった。

大きな机と大きな窓があった。

作り付けの洋服ダンスがあってベットがあった。

六畳はあったと思うが、本棚がなくて上手く整理できなかった。

壁にマジックで大きなお城と、お姫様を何人も書いた。

もちろん、大人たちは驚き怒った。

でも、ひとりで自分の世界を過ごした。

雷の夜や、怖い夢を見て泣いた次の夜は

祖母や父と眠った。

もうすぐ息子は四歳になる。

今は、わたしがついていなくても眠れるようにトライしている。

なるべく早く、彼のスペースを作ってみよう。

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