亡くなった友人は母ひとり、子ひとり。

お母さまは激しく泣き続けている、と

葬儀の後の弔いに出て欲しい、と今夜仲間からの電話があった。

二十歳のときのバイト仲間で、

東京都内四車線を走るバイクで死んだ

当時22歳の彼も、ひとり息子だった。

大学四年、官公庁の就職も決まって

次へのオフタイムでの死だった。

その、若い人が夥しく溢れる告別式で

お母さまの泣き叫び、その呻く嗚咽は、特に痛々しく

老衰で亡くなった、隣の葬儀との差が激しくもあって

場が、特に「非情」だった。

まず、若くして、親より先に逝くのは罪だ、と思った。

悲しかった。泣いた。

あまり泣いて、当時の彼に冷やかされた。

「まるで、自分の恋人でも亡くなったみたいだね。」と。

わたしたちは、別れた。

ただ、セックスで結びついている必要はなかった。

しばらくの間、深く考えさせられていた。

バイクの免許を取ろうと思っていた矢先でもあり、

この予想外のアクシデントを重く受け止め、諦めたのだ。

だから、あまり悲しい場に行きたくない、と

今回の弔いへの出席は、小さく断った。

悲しみに明け暮れるお母さまを、見て泣きたくない。

できることなら、

親より先に、逝くべからず。

我が子は、大きな大きな玉石の喜びで悲しみで

涙と感動を増す。人生を重く複雑に高める。

命は買えない。

あなたの存在の代替は、ない。

できることなら、長く生きていこう。

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